膠州湾
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この項目では、山東半島の湾について説明しています。この湾の周囲にドイツが作った租借地については「膠州湾租借地」をご覧ください。
膠州湾租借地山東半島を描いた1912年の地図地図

膠州湾(こうしゅうわん、中国語: ?州湾, Jiaozhou Bay)は中華人民共和国山東半島の南側にある、黄海に面した

古くは膠澳と称し、膠州の管轄下にあったことから膠州湾と呼ばれる。
地理

湾全域が山東省青島市の市域内にある。青島市の都心の市南区は湾の入り口の東側にあり、湾口の反対側には青島経済技術開発区のある黄島区がある。湾岸の市区は、湾の東側から反時計回りに、市南区・市北区李滄区城陽区青島流亭国際空港がある)・膠州市・黄島区となっている。

膠州湾は、狭い入口の奥に広大な水面を有する。湾の大きさは南北32キロメートル、東西25キロメートルで、2006年時点の水域面積は353.92平方メートル、湾の海岸線の長さは220.02キロメートル、湾の入り口(淮子口)の幅は約3,000メートル[1]1928年の湾の面積は560平方キロメートル、1988年時点で390平方キロメートルだった。改革開放以前からの埋め立てで湾の広さは年々狭くなっている。

平均水深は7メートル、最大水深は64メートルで[2][3]、水深5メートル未満の部分は湾の面積の52.7%を、水深20メートル以上の部分は面積の5.4%を占める[4]

膠州湾の北部は即墨盆地になっており、湾の西北は、山東半島北部の?州湾から南部の膠州湾にかけて広がる膠?平原がある。膠?平原の主要な河川である膠?河は、途中で二つに分かれ、それぞれ北の?州湾と南の膠州湾に流入する。膠州湾周辺の主な山地には、道教にかかわりの深い名山として知られる東の?山と、南部から西南部にかけて広がる小珠山がある[2]

膠州湾に注ぐおもな河川は、大沽河・李村河・海泊河・白沙河・洋河・楼山河・墨水河・昌楽路河・杭州路河などがある。ほとんどの河川は周囲の市街地や村落の工業や農業による廃水や生活排水で汚染されている[2]。河川のうち大沽河は、膠?河から分かれた分流である南膠?河が流れ込んでおり、膠?河を通じて?州湾と内陸水路で結ばれている。団島と薛家島を結ぶ線が黄海と膠州湾の境界になっている[2][3]
交通湾周辺の道路網

膠州湾は冬でも凍らないうえに水深も深い中国北部の良港の一つであり、中国有数の港湾である青島港が湾口にある。

鉄道は、湾北部と東部に、青島市都心部へ向かう膠済線膠済旅客専用線が走り、湾西部に膠黄線と膠新線が走る。湾の北東部に青島流亭国際空港がある。

湾周辺の主な高速道路には、青島市から北西へ伸び済南市に向かう済青高速道路、青島市から湾北部を横断する青島膠州湾大橋を通って西へ伸びる青蘭高速道路、湾を取り巻く環膠州湾高速道路、湾の西方を南北に走る同三高速道路がある。世界最長の水上橋(橋の長さ26.7km、海上部分25.9km)である青島膠州湾大橋は2011年6月30日に開通しており、同じ日に湾口の両端を結ぶ海底トンネル・青島膠州湾トンネル(長さ9.47km、海底部分3.95km)も開通している[5]
歴史「膠州湾租借地」も参照

膠州湾は、元代に設置された膠州の所轄する地方にあった。1898年清朝政府は独清条約により、膠州湾の水面全体と湾の東南岸にある面積552平方キロメートルの土地(現在の青島市都心部)を、ドイツ帝国に99年間の契約で租借した。これが膠州湾租借地であり、青島は植民地都市として、ドイツ東洋艦隊の母港として開発された。第一次世界大戦が始まると山東半島はドイツと日本との間の戦場になり、1914年10月31日からの青島の戦いの結果、11月7日に膠州湾租借地は日本軍が占領した。1922年12月10日に日本は中国政府に膠州湾を返還した(山東還附)。
環境破壊と保護青島膠州湾大橋と膠州湾の海岸


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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