脊髄くも膜下麻酔
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麻酔 > 区域麻酔 > 脊髄幹麻酔 > 脊髄くも膜下麻酔脊椎針(ドイツ語版)から局所麻酔薬を注入している。

脊髄くも膜下麻酔(せきずいくもまくかますい)とは、くも膜下腔局所麻酔薬を注入し、脊髄前根後根をブロックする区域麻酔の一種である。脊椎麻酔(: spinal anesthesia、ラテン語の spinalis「脊椎/脊髄の」とAnasthesie「麻酔」に由来)または腰椎麻酔(: lumbar anesthesia、ラテン語のlumbalis「腰部の」から)とも呼ばれる。他にくも膜下ブロック (Sub-arachnoid Block: SAB)と呼ばれることもある。
概要

腰椎の間から脳脊髄液中に局所麻酔薬(場合によっては他の薬剤も)を注射することで、脊髄に由来する神経信号伝達が抑制される。その結果、下半身の交感神経系感覚神経運動神経が一時的に可逆的に遮断される。患者の意識は保たれる。起こりうる副作用としては、低血圧吐き気、背中の痛みなどがあり、硬膜穿刺後頭痛(英語版)が麻酔後の数日間で起こることがある。重篤な合併症(脊髄に関連した血腫感染、神経損傷)はまれである。

他の局所麻酔法に比べて、少ない麻酔薬の量で、迅速で強力な麻酔効果が得られる[1]が、通常はカテーテルを挿入しないため麻酔薬の持続投与ができず、短時間の手術に適応が限られる。また、頭蓋内圧亢進時や凝固異常、血小板減少抗血栓療法中は禁忌となる。

19世紀末、特にアウグスト・ビーア(英語版)とテオドール・タフィエ(英語版)(1857-1929)によって臨床に導入されたこの麻酔方法は、麻酔に用いられたコカインの毒性や、麻酔後の酷い頭痛、高い死亡率が問題となり、全身麻酔の進歩とともに麻酔臨床における重要性を失っていった。20世紀半ばより、針の改良による頭痛の軽減、局所麻酔薬の改良による毒性の減少、モニタリングの徹底による死亡率の減少、などにより麻酔法として再評価されるようになった。標準的な麻酔法として、脊髄くも膜下麻酔は今日、下腹部、骨盤、下肢、産科の多くの手術に行われている。これらの手術では、腰部または胸部の硬膜外麻酔など、他の区域麻酔や全身麻酔の代替として、ないしは併用可能である。
原理
解剖学的基礎と脊髄くも膜下麻酔の原理脊髄くも膜下麻酔の模式図(横断面)脊髄くも膜下麻酔の矢状断

人間の脊椎は24個の椎骨からなり[注釈 1][2]、体軸の力学的安定性を確保している。これらは靭帯で連結され、それぞれが椎体脊髄(図では?)とその膜を囲む椎弓、2つの横突起、後方(背側)の棘突起からなる[2]脊髄神経は椎骨と椎骨の間から出ており[3]、身体を分節的に支配し、運動機能と知覚を可能にし[4]、また自律神経系の線維も含んでいる[5]

中枢神経系の一部として、脊髄は髄膜に囲まれている[6]。内側から外側に向かって、脊髄に直接接している軟膜くも膜、そして 外側の境界として硬膜である。軟膜とくも膜の間には脳脊髄液腔(くも膜下腔)があり、脳脊髄液が循環している。

脊髄くも膜下麻酔の際、このくも膜下腔は細い中空針(脊椎針)で穿刺される。針は皮膚椎骨棘突起間の靭帯(棘上靱帯(英語版)、棘間靱帯(英語版)、黄靱帯(英語版))を貫通して、さらに硬膜外腔(図の?)(脂肪組織と血管で満たされ、髄膜の外側にある)を経て、硬膜とくも膜を貫通し、その先端がくも膜下腔(図の?)で静止する。局所麻酔薬はこの腔内に注入され(髄腔内投与(英語版))、脊髄神経の前根後根に作用し、神経インパルスを伝達する機能を一時的に停止させる[7]

ヒトの発育過程において、脊柱は脊髄よりも早く成長するため、脊髄は(成人の場合)第1/第2腰椎の脊髄円錐のレベルで終わる[8]が、関連する脊髄神経は足側(尾側)に移動し続け、脊柱管から出てくる。それによって馬尾が形成される。このような状況により、脊髄を損傷することなく中位腰椎のレベルで穿刺することができる[9][10][11]
脊椎針脊椎針(ドイツ語版)さまざまなタイプの脊椎針の先端[12]。A.クインケ(Quincke)針、B.スプロッテ(Sprotte)針、C.ボールペン針(Aはカッティング、B、Cはいずれも非カッティング針)

脊椎針とは専ら脊髄くも膜下麻酔ないしは腰椎穿刺に用いられる注射針の一種である。くも膜下穿刺針、脊麻針とも呼ばれる[13]。図に示すように、薬液を注入するために中空の外筒、穿刺時に外筒が詰まったり、くも膜下腔に皮膚組織や靭帯組織を持ち込まないように「フタ」の役目を果たす内筒で構成される[13]。脊麻針は細ければ細いほど、くも膜穿刺に伴う髄液の漏出が少ないために麻酔後の頭痛が起こりにくい[14]。針の太さはゲージ規格で表され、単位の略号はGである。太さは22Gから29Gまであり[15]、一番太い22Gでも0.71mm、29Gでは0.31mmである[16]。長さは通常約7cmである[17]。先端形状は鋭利なカッティング針と、スプロッテ針などの先端が鋭利でない針(非カッティング針)とがあり、後者は硬膜損傷が軽微で済むので麻酔後の頭痛の頻度が低いとされる[14]
使用薬剤

脊髄くも膜下麻酔の効果時間は、使用する薬剤によって異なる。局所麻酔薬は、脊髄くも膜下麻酔を行う際に使用される標準的な薬剤である。これらは神経内に拡散し、細胞膜のナトリウムチャネルを遮断し、ナトリウムイオンの流入を減少させる。このようにして、活動電位の形成が妨げられ、神経における信号伝達ができなくなる[18]最もよく使用される局所麻酔薬の一つであるブピバカイン構造式光学異性体を持ち、ラセミ体として市販されている。

リドカインは、毒性が低いことから1950年代から50年以上、脊髄くも膜下麻酔で好んで用いられてきたが[19]、脊髄くも膜下麻酔に関しては、他の麻酔薬よりもむしろ一時的な神経傷害が高率に生じることが判明し[20]、あまり使われなくなった。ブピバカインは広く使用されている薬剤で、作用時間が長く、リドカインとは対照的に神経毒性の発生率は低いと報告されている。等比重および高比重溶液の両方が製剤として市販されている[21]メピバカイン[22]プリロカイン[23]ロピバカイン[24]なども薬理学的には有効であるが、脊髄くも膜下麻酔を適応とした製剤は日本では2023年現在市販されていない[注釈 2]。プロカインとメピバカインの作用時間は約1時間と比較的短く[26]、外来で行われる短時間の処置に使用するには魅力的である。しかし、エステル型の局所麻酔薬であるプロカインは、アミド型に属する他の局所麻酔薬よりもアレルギー反応のリスクが高い[27]。日本では、かつては、エステル型の0.3%ペルカミンS(ジブカイン)、ネオペルカミンS(ジブカインとパラブチルアミノ安息香酸ジエチルアミノエチル塩酸塩の合剤)も用いられていたが神経毒性を疑われ、現在は販売されていない[28]。他にテトカイン(テトラカイン)も使用されてきたが、日本では2023年度限りで販売終了となる見込みである[29]

他の薬剤(添加薬)との併用は、局所麻酔薬の効果を長持ちさせ、副作用を軽減することを目的としている。例えば、オピオイドの添加がよく行われている。この目的のために、フェンタニル[30]やスフェンタニル(英語版)[31]のような脂溶性のものが使用され、脊髄後角にあるオピオイド受容体を介して作用する[32]かゆみ吐き気呼吸抑制といった典型的なオピオイドの副作用が起こることがある。モルヒネなどの水溶性オピオイド誘導体では、呼吸抑制と鎮静作用が強くなるため、患者を長時間モニターする必要がある[33]クロニジン[34]ケタミン[35]の使用はあまり一般的ではない[36]。アドレナリンは、その効果を延長させるために他の局所麻酔法では添加されるが、脊髄くも膜下麻酔での使用には適さないとされる[37][注釈 3]
麻酔範囲の決定要因

脊髄くも膜下麻酔の効果の程度は、注入された薬剤がくも膜下腔にどのように広がるかどうかに依存する。これは主に、局所麻酔薬の総投与量と比重によって決まる[40]。脊髄くも膜下麻酔に用いられる局所麻酔薬は、髄液と同じ比重を持つ等比重液と、グルコースの添加によってより高い比重を持つ高比重液とに分類される[41]。等比重液の大部分は穿刺部位のくも膜下腔に留まる。しかし、比重はわずかに温度に依存するため、体内での加温により、高比重液よりも拡散の予測が難しくなる[42]。高比重液は重力に従って下方に沈むため、患者の体位によって麻酔薬の広がりをコントロールできる。高位麻酔は頭低位、低位麻酔は頭高位とすることにより達成される。等比重液と同様の広がりは、仰臥位で達成でき、サドルブロックは座位[43]で、側臥位では片側優位の麻酔効果が得られる[44]。低比重液の使用は例外的な場合にのみ行われる[45][46][注釈 4]

麻酔薬の拡散に影響するその他の因子(決定因子)は、患者個々で変化の大きい髄液量とくも膜下腔の空間的条件である。後者は患者の体格に影響される。肥満妊娠腹水など、腹腔内の圧力が高くなると、くも膜下腔が圧迫され、それに応じて投与量を減らさなければならない[46]


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