脇 太一(わき たいち、1900年 - 1969年)は、日本の教育者および作詞家[1] 1924年(大正13年)に東京高等師範学校を卒業する。28歳の時に、恩師に誘われて大連(当時は関東州)に渡る。教鞭のかたわら俳句、短歌、詩、小説、脚本などの作品を創作した。敗戦後、日本に引き揚げる。 1947年(昭和22年)、坂出市立林田中学校(現在の坂出市立白峰中学校)校長に就任。 1951年(昭和26年)、NHK「ラジオ体操の歌」に応募、1万1,000点余りの作品から最優秀に選ばれる(本曲は2代目の「ラジオ体操の歌」となる。1956年から使用されている現行版(藤浦洸作詞)とは異なる)。作詞家として一躍有名になり、全国の小学校、中学校、高等学校から作詞を依頼される。 (香川県内)
来歴
作品
小学校歌
香川県綾川町立羽床小学校
香川県東かがわ市立丹生小学校
香川県高松市立栗林小学校(作詞)[4]
香川県高松市立十河小学校(作詞)[5]
香川県高松市立国分寺北部小学校(作詞)[6]
香川県小豆島町立安田小学校(作詞)[7]
香川県観音寺市立柞田小学校
ほか
(香川県外) (香川県内) ほか (香川県外) (香川県内) ほか (香川県外)
東京都葛飾区立鎌倉小学校(作詞)[11]
山梨県上野原市立島田小学校(作詞)[12]
山口県下関市立養治小学校(作詞)[13]
宮崎県日向市立日知屋小学校(作詞)[14]
鹿児島県霧島市立向花小学校(作詞)[15]
中学校歌
香川県丸亀市立綾歌中学校(作詞)[16]
香川県観音寺市立中部中学校(作詞)[17]
香川県三豊市立高瀬中学校(作詞)[18]
香川県綾川町立綾南中学校(作詞)[19]
香川県三木町立三木中学校(作詞)[20]
香川県宇多津町立宇多津中学校(作詞)[21]
高知県須崎市立南中学校
福岡県福岡市立城南中学校(作詞)[23]
福岡県大牟田市立松原中学校(作詞)[24]
福岡県田川市立猪位金中学校(作詞)[25]
鹿児島大学教育学部附属中学校(作詞)[26]
高等学校歌など
香川県立高松東高等学校(作詞)[27]
香川県立観音寺第一高等学校(作詞)[28]
香川県立観音寺中央高等学校(作詞)[29]
栃木県立馬頭高等学校(作詞)[30]
三重県立尾鷲高等学校(作詞)[31]
徳島県立徳島商業高等学校(作詞)[32]
高知工業高等専門学校(作詞)[33]
その他
長崎県民音頭(作詞)
岡山県スポーツの歌(作詞)
津久見市歌
脚注[脚注の使い方]^ ⇒『みんなの県政 THEかがわ』2010年7月号 - 香川県庁(香川県広報誌) [リンク切れ]
^ ⇒[1]羽床小学校ホームページ
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^ ⇒[4]十河小学校ホームページ
^ ⇒[5]国分寺北部小学校ホームページ
^ ⇒[6]安田小学校ホームページ
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^ ⇒[10]鎌倉小学校ホームページ
^ ⇒[11]島田小学校ホームページ
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^ ⇒[13]日知屋小学校ホームページ
^ ⇒[14]向花小学校ホームページ