能登かがり火
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能登かがり火
681系の「能登かがり火」
(2021年3月 宝達駅 - 敷浪駅間)
概要
種類特別急行列車
現況運行中
地域石川県
前身特急「サンダーバード」「しらさぎ」「はくたか」
運行開始2015年3月14日
運営者西日本旅客鉄道(JR西日本)
IRいしかわ鉄道
路線
起点金沢駅
終点七尾駅和倉温泉駅
営業距離71.0 km (44.1 mi)(金沢 - 和倉温泉間)
列車番号3000M+号数
使用路線IRいしかわ鉄道線七尾線
技術
車両681系電車683系電車
軌間1,067mm
電化直流1,500V(津幡駅 - 和倉温泉駅間)
交流20,000V 60Hz(金沢駅 - 津幡駅間)
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能登かがり火(のとかがりび)は、西日本旅客鉄道(JR西日本)およびIRいしかわ鉄道金沢駅 - 七尾駅和倉温泉駅間をIRいしかわ鉄道線七尾線経由で運行する特急列車である[1]

本項では、七尾線およびのと鉄道七尾線能登線(旧国鉄時代を含む)で運行されていた優等列車の沿革についても記述する。
概要「能登かがり火」の愛称幕

2014年3月15日ダイヤ改正時点で、金沢駅 - 和倉温泉駅間の特急列車は、大阪駅発着の「サンダーバード」が4往復、越後湯沢駅発着の「はくたか」と名古屋駅発着の「しらさぎ」が1往復ずつの、いずれも北陸本線からの乗り入れ列車計6往復が運行されていた。しかし、2015年3月14日に北陸新幹線長野駅 - 金沢駅間が延伸開業するのに伴い北陸本線系統の特急列車の運行体系が大きく見直され、「サンダーバード」は1往復で継続運行するが、上越新幹線連絡特急であった在来線特急「はくたか」が運行終了、「しらさぎ」は全列車が金沢駅発着になった。これを踏まえ、金沢駅 - 和倉温泉駅間(このうち1往復が大阪駅発着の「サンダーバード」)の特急本数を維持することを念頭に北陸新幹線連絡特急として運行を開始した。

2024年3月16日ダイヤ改正の北陸新幹線敦賀延伸後は、大阪発着の特急「サンダーバード」の七尾線乗り入れ廃止の代替として1往復増発の5往復の運転となり、同時に後述の通りグリーン車の連結がなくなった。
列車名の由来

JR西日本の公式説明によれば、能登各地には、能登キリコ祭りに代表される「火」や「灯り」を連想させる夏祭りが多く存在し、このような「火」と結びついた幻想的な能登の風景、かがり火の燃え盛る勢いをイメージして命名されたものとしている[1]
運行概況

2024年3月16日のダイヤ改正後の運行概況は次の通り。

2024年3月16日ダイヤ改正後の編成図能登かがり火
← 金沢七尾・和倉温泉 →

321
指指自



全車禁煙

指定日は6両編成で運転

凡例
指=
普通車座席指定席自=普通車自由席

金沢駅 - 和倉温泉駅間に4往復、金沢駅 - 七尾駅間に1往復の合計5往復が運行されている。
停車駅

金沢駅 -(津幡駅)-〈宇野気駅〉-(高松駅)- 羽咋駅 -(良川駅)- 七尾駅 - 和倉温泉駅

( )内の駅は一部列車が停車し、〈 〉内の駅は臨時列車が停車する。

津幡駅 : 2・4号が停車。

宇野気駅 : 71・72号が停車。

高松駅 : 2・9号が停車。

良川駅 : 2・9号が停車。

使用車両

683系

683系の付属3両編成が使用され、和倉温泉方の1号車が普通車自由席、2・3号車が普通車指定席となる。また、休日などの指定日は一部列車が3両+3両の6両編成で運転される。

運行開始当初は基本編成のみの6両編成が使用され、グリーン車指定席1両・普通車指定席3両・普通車自由席2両の編成となっていた。2016年3月のダイヤ改正以降は一部の列車にて、付属編成3両での運行が所定となった(多客期にはグリーン車連結の6両基本編成で運転されることがあった)。2024年3月のダイヤ改正では基本6両編成での運用を取り止め、グリーン車の連結を終了した。

なお能登かがり火には、自動放送は搭載されていない。車掌の肉声である。

七尾線の特急は、かつての大阪駅直通のサンダーバードのみ自動放送が搭載されていた。
七尾線・のと鉄道優等列車沿革
概略
のとじ・能登路キハ28 2049 ロマンスカーを先頭にした急行「能登路」金沢駅4番のりばに残されていた急行「能登路」の乗車目標[注 1]

「のとじ」は1960年に準急列車として金沢駅 - 輪島駅間で運転を開始した列車で、1959年(昭和34年)から同区間で運転を開始した快速列車列車種別を変更したものである。運転開始してから約半月後に能登線(のちののと鉄道能登線)が開業したことにより、運転区間は金沢駅 - 輪島駅・宇出津駅間(穴水駅 - 宇出津駅間は普通列車)に変更されている。1964年(昭和39年)に1往復から4往復に増発、同時に列車名も「のとじ」から「能登路」に変更された。

一等車(1969年5月10日以降グリーン車に改称)は大阪直通急行「奥能登」に関連する金沢駅 - 輪島駅間1往復のみに連結されているのみで、使用車両もそれ以外ではキハ58系気動車ではなく、キハ55系キハ20形気動車などが充当されるなど、ローカル準急列車としては当時としてはやや標準的なものであったとされている。

1966年(昭和41年)に運転区間が101 km以上の3往復は急行列車化され、1972年(昭和47年)からは年々増加する観光客の対策として、金沢駅 - 七尾駅間を中心に増発が行われ、1978年(昭和53年)のピーク時には下り9本・上り10本が運転され、1980年(昭和55年)からは多客期の1往復に"ロマンスカー"と称されたキハ28形改造車が連結された。この「ロマンスカー」は普通車座席指定席で、当時の新幹線0系電車と同様の転換クロスシートを設置し、運行中の車内で観光案内ビデオを放映していた。同時期に「有明」「にちりん」で運行されていたビデオ特急に似たサービスであった。

1991年(平成3年)9月1日に七尾線津幡駅 - 和倉温泉駅間の電化によって、「能登路」は7往復から3往復に削減されたのと同時に、七尾線七尾駅 - 輪島駅間と能登線はのと鉄道へ移管されたが、2001年(平成13年)3月31日にのと鉄道七尾線の穴水駅 - 輪島駅間が廃止されたことにより、先行して3月3日の改正で1往復に減少、2002年(平成14年)3月23日の改正で廃止された[2]。1991年(平成3年)9月1日の七尾線電化から2001年(平成13年)3月2日までは415系800番台も運用された(遜色急行も参照)。
奥能登・おくのと

「奥能登」は1963年(昭和38年)に大阪と能登半島を結ぶ最初の優等列車として、下り大阪駅 → 和倉駅(現在の和倉温泉駅)、上り輪島駅 → 大阪駅間で運転を開始した。大阪駅 - 金沢駅間は「きたぐに」と併結運転する関係で急行列車として運転されていたが、金沢駅 - 和倉駅・輪島駅間は準急列車であった。


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