能代大火(のしろたいか)は、秋田県能代市で発生した大規模な火災である。1949年(昭和24年)2月20日に発生した第一次能代大火と、1956年(昭和31年)3月20日に発生した第二次能代大火があり、いずれも市民生活に甚大な被害をもたらした。 第一次能代大火 ウィキメディア・コモンズには、第一次能代大火 1949年(昭和24年)2月20日0時35分頃、市街西部の清助町新道の木工所から出火した。第一発見者は当時の能代市消防団常備消防部の団員で、望楼からの発見である。この冬は暖冬で市内にほとんど積雪がなく、また火災発生前日より次第に風が強くなってきており、夜半には粉雪が舞い13m/sの強風が吹いていた。火災が懸念される気候のため、消防ではポンプ車を警戒のためサイレンを鳴らして巡回させていたが、走り去ったすぐ後に火災が発生した[1]。当日の気象状況は以下の通り[2]。 火災の発見を受けてただちに当時保有していた4台のポンプ車のうち3台(残る1台は東京に修理に出していた)が出動し、1台が火元の消火にあたった[3]。発見が早かったことから一旦は消火しかかったものの、中途で130mほど東に離れた別の木工所の柾葺き屋根に飛び火[3]。以降も火の粉が家々を舐めるように横に拡がっていき、同時多発的に発火していった。出動した3台のポンプ車のうち別の1台も火に包囲されて動けなくなり、火の回りが速く2台のポンプ車では対処不能な状況となった[3]。午前2時を過ぎる頃には、秋田・土崎・五城目・船越・鷹巣・大館などから応援の消防車15台が駆け付けたが、市外から来たため貯水槽の場所がよく分からなかったり、あるいはそもそも貯水槽の周囲が火に巻かれて近づけなかったりしたため、機能不全であった[4]。米代川の自然水利も全く使用することが出来なかった[4]。午前2時40分には能代市警察署から最後の電話通信が送られ、電話交換手が退避して間もなく警察署が焼失した[5]。 午前3時を過ぎて火勢はさらに東進し、五能線を越えて日吉神社
目次
1 第一次能代大火
1.1 第一次能代大火の概要
1.2 第一次大火の被害状況
1.3 第一次大火後の復興
1.3.1 第一次大火後の都市計画
1.3.2 産業界の復興
1.3.3 金融上の支援
1.3.4 復興祭
2 第二次能代大火
2.1 第二次能代大火の概要
2.1.1 1回目の火災の発生
2.1.2 2回目の火災
2.2 第二次大火の被害状況
2.3 第二次大火後の復興
2.3.1 大火直後の対応
2.3.2 第二次大火後の都市計画
3 その後の能代市
4 脚注
4.1 注釈
4.2 出典
5 参考文献
6 関連項目
第一次能代大火
現場秋田県能代市
発生日1949年(昭和24年)2月20日
0時35分 (日本標準時)
類焼面積8.3ha
死者3人
負傷者132人
第一次能代大火の概要
湿度 - 48%
気温 - 5℃
風向 - 西風、1時半から北西、4時から西風
風速 - 13m/s、最大18m/s、突風 20m/s