胴上げ
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入学試験の合格発表における胴上げ(東京大学、2007年春)
同大学が掲示する合格発表の場にて体育会系サークルの部員たちによる胴上げを行なうことが恒例になっていたが、2017年春以降は安全面から禁止の通達が出された。

胴上げ(どうあげ)とは、祭事において特定の者に対して、あるいは偉業を達成した者や祝福すべきことがあった者を祝うために、複数の人間がその者を数度空中に放り投げる所作をいう。胴突(どうづき)ともいう[1]
祭事と習俗公職に当選した政治家の胴上げ(蜷川虎三

日本では人生の節目における祝福の意味での胴上げが行われることがあり、例えば、高校や大学の野球部で部員がプロ野球ドラフト会議で指名された者や、選挙で当選した候補者・入学試験合格者、結婚式において新郎を胴上げすることもある。

大相撲においては新大関が決まった力士への昇進伝達式での胴上げが恒例となっていた。一方、小錦が例外的に胴上げ無し(重過ぎてできなかったとされる)となった。以後、昇進伝達式での胴上げは行われない。

また、大相撲では千秋楽にすべての表彰式が終わった後、その場所で出世披露を受けた力士が土俵に上がってお神酒を受けて三本締めを行った後(出世力士手打式)に、土俵祭で脇行司を務めた行司(十両格行司)が御幣を持って土俵に上がり、出世力士から胴上げされる(人数が少ない時は呼出も加わる)。これは「神送りの儀式」と呼ばれ、土俵祭で土俵に降りた神様を元の場所に戻す儀式と言われる。

NHKNHK紅白歌合戦』で優勝チームの司会者がその組の出場歌手に胴上げをされたケースもある。
発祥婿の胴上げ(新潟県南魚沼市、2018年1月6日撮影)

胴上げの発祥は長野市善光寺との説がある。善光寺において、12月の2度目の申(さる)の日に、寺を支える浄土宗14寺の住職が五穀豊穣、天下太平を夜を徹して祈る年越し行事「堂童子(どうどうじ)」で、仕切り役を胴上げをする習慣がある。この行事は江戸時代初期には記録があり、少なくともそのころから胴上げが成されていたことは確かである[2]。『ワイショ、ワイショの掛声のもと、三度三尺以上祝う人を空中に投げ上げる』と書いてある。日本テレビ系列『ザ!鉄腕!DASH!!』でこの胴上げを再現する試みがあった。
祭事

新潟県糸魚川市能生地域では江戸時代初期から伝わる「裸胴上げまつり」(糸魚川市無形民俗文化財)があり、厄よけとして男衆がさらしの姿で、厄年の男性などを胴上げするという風習がある。

新潟県南魚沼市の八坂神社では、毎年正月に前年結婚した婿を胴上げする「婿の胴上げ」が行われており、これは戦国時代の武将長尾政景が城下を繁栄させる為、他の地域から来た婿養子を祝って胴上げさせたことが始まりとされる。

江戸時代において、江戸の12月13日に煤払いが終わると主人一同の胴上げが始まり、蕎麦鯨汁が振る舞われることがあったとされ、『東都歳時記』の絵図にも確認でき、千葉公慈東北福祉大学学長、仏教学者)はこれを、単なる掃除ではなく、悪業払拭の神事・厄払いの祈祷だったとする[3]

民俗学者の桜井徳太郎(元駒澤大学学長)は、『しまねの古代文化』において、古くは祭りが終わる際、取り仕切った神主氏子達が胴上げしたことや僧侶が仕切り役を胴上げしたことを、「(ハレから)胴上げによって日常の生活(ケ)に戻った」と解釈する(後述書 p.54)。また大相撲においても「神送り」といって、土俵に降りてくれた神に礼を奉げ、元の場所へ送り出す儀式があり、神の宿った白幣を1本もった行司を胴上げして、神を天に返す(元は親方を胴上げしていたが、落下事故があり、現在は行司となっている)[4]
スポーツにおける胴上げ

胴上げは集団で祝福を表現する方法として代表的なものである[5]。スポーツにおいて勝利(特に優勝)した場合に監督やチームオーナー、功労者などを胴上げすることがある。胴上げ、早稲田大学卒業式にて
日本野球における胴上げ(2007年、アジアシリーズで優勝した中日ドラゴンズ)

プロ野球におけるペナントレース優勝・日本シリーズ優勝の際の監督の胴上げは恒例となっており、新聞などのマスコミ報道では優勝することが象徴的に「胴上げ」と表現されている。監督のみならず、大きく活躍した選手も胴上げされることがある。用例『札幌ドームヒルマン監督の胴上げを[6]』『目の前の胴上げだけは阻止したかった[7]

プロ野球における胴上げは、1950年セントラル・リーグ初代優勝チームとなった松竹ロビンスの監督・小西得郎がこの優勝時に選手一同にこれをされたことが発祥とされる[8]

また同じく野球において、優勝が決定した瞬間にマウンドに立っていた投手を「胴上げ投手」と呼ぶ(サヨナラゲームで優勝を達成した場合はこの存在はなし。この場合はサヨナラ打点を挙げた打者が対象になる)。ただし、ここでいう胴上げとは先述の優勝の代名詞的扱いであり、必ずしもその投手が胴上げされるわけではない。また、チームのエースピッチャーにこの栄誉を与えるために優勝のかかった試合に限り抑えに起用する事もある(1966年巨人金田正一1985年西武東尾修1989年近鉄阿波野秀幸2013年楽天田中将大2023年WBC大谷翔平など)[9]

なお日本では、野球以外のスポーツでも、サッカーラグビー駅伝などの競技において優勝チームのメンバーによる監督の、駅伝ならアンカーランナーにも胴上げなどが行われる。

また、祝福の他に感謝の意味を込めることもあり、名選手の引退試合や退任が決定している監督の最終試合で胴上げを行うこともある。
主な胴上げ例


1965年に開催された第10回オールスター競輪決勝戦終了直後、1着で入線した白鳥伸雄を、バンク内にいた観客が胴上げした。

1969年東京優駿(日本ダービー)では、同レースでダイシンボルガードに騎乗し、優勝した大崎昭一騎手がファンに胴上げされるという珍事が発生した。

1970年ロッテ・オリオンズ東京スタジアムでパ・リーグ優勝を決めた際、オーナー永田雅一は他の選手と共に、グラウンドに乱入した観客達に胴上げされた。

2007年1月1日に開催されたサッカー天皇杯決勝戦では、優勝した浦和レッドダイヤモンズギド・ブッフバルト監督は試合後に選手の手で胴上げされ、更にこの試合限りで退任する予定だったため、表彰式の後にはスタンドのサポーターにより再び胴上げされた。

2006年春、2006 ワールド・ベースボール・クラシックで優勝した日本代表チームの監督であった王貞治が胴上げされるのを、ニューヨークタイムズは「日本国の伝統」と報じた(しかし後述の通り、日本以外でも胴上げという行為は存在する)。

2009年10月24日のパシフィック・リーグクライマックスシリーズ最終戦では、敗退に伴いこの試合限りで退任する東北楽天ゴールデンイーグルス野村克也監督を対戦相手であった北海道日本ハムファイターズの選手も加わって胴上げした。発案者はヤクルト時代に野村の下でプレーした日本ハムの稲葉篤紀


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