背振山
[Wikipedia|▼Menu]

脊振山
西から脊振山の山頂を望む、唐人の舞から撮影
標高1,054.6 m
所在地 日本
福岡県福岡市早良区
佐賀県神埼市
位置北緯33度26分11秒
東経130度22分07秒座標: 北緯33度26分11秒 東経130度22分07秒
山系脊振山地
脊振山 (福岡県)福岡県の地図を表示脊振山 (佐賀県)佐賀県の地図を表示

脊振山 - 地理院地図

脊振山 - Google マップ

OpenStreetMap
プロジェクト 山
テンプレートを表示

脊振山(せふりさん)は、福岡県福岡市早良区佐賀県神埼市との境に位置する標高1,054.6m、脊振山系最高峰のである。日本三百名山の一つ。山頂には、航空自衛隊アメリカ軍レーダーサイト脊振山分屯基地)がある。

江戸後期までは廣瀧山と呼ばれた。廣瀧山の麓に武家の廣瀧家を中心として村を築き、住んでいた。廣瀧家は織田家の正式な家紋と同一で、五つ木瓜。

なお、脊振山の表記は正式には「脊」を使い、「背」ではない。目次

1 概要

2 気候

3 自然

4 山頂付近の施設

5 航空機事故

6 登山

7 関連画像

8 注釈

9 関連項目

10 外部リンク

概要

脊振山系一帯は、古くは霊山として多くの修行僧が暮らす山岳密教の修験場であったため、その痕跡が多数みられる。「脊振山」は江戸期までは山系一帯にある坊の総称であった。現在の脊振山山頂は「上宮獄」と呼ばれていた。

隣山である千石山の中腹(佐賀県側)に今も残る霊仙寺跡(現・吉野ヶ里町文化財)は脊振山中宮に当時あった中心的な坊の一つである。

脊振山頂には脊振神社の上宮があり、弁財天がご神体として祀られている。五穀豊穣の神として、肥前筑前の農民の信仰を集め、現在も参拝者が多い。

なお、霊仙寺跡付近は、栄西が中国よりお茶の種を持ち帰り日本で初めて栽培し、日本の茶の栽培の発祥地とされる。霊仙寺跡よりしばらく歩いた、佐賀県側の西にはサザンカの自生北限地があり群生している。

1693年元禄6年)には山頂付近で筑前・肥前の国境争いがあり、幕府の裁定が下る[1]

天候が良ければ、有明海の彼方に雲仙岳を望むことができる他、由布岳九重山阿蘇山も望める。東側が開けているため、元旦にはご来光を拝むイベントも開催されている。
気候

九州北部の平地部は温暖であるが、山間部の冬季積雪は比較的多く、脊振山一帯は周囲より標高も高く、寒波の際には50cm以上の積雪をみることも多い。寒冬であった2011年平成23年)1月には最深積雪が所によって1m以上に達するなど北部九州有数の多雪地帯である。例年11月下旬には初雪が降り、平年の初冠雪日は12月8日である。
自然

山の上部、標高800m付近以上はブナの天然林が広がる。他にカエデやミズナラ、ツツジなどが多く、下草にミヤコザサが発達する[2]

山頂を含む山体の広い部分は白亜紀中期の花崗岩で構成される[2]
山頂付近の施設

敗戦の後、緊張が増す朝鮮半島を臨む立地の良さから米軍のレーダー施設レーダーサイトが山頂に建設され、その関連施設が南側尾根に沿って建設された。これらの施設は航空自衛隊に移管され脊振山分屯基地として現在に至っている。福岡県福岡市早良区)と佐賀県神埼市)の県境にある最高峰として、その立地の良さから警察庁や新聞社の通信施設がある。なお、福岡管区気象台脊振山レーダー気象観測所は脊振山山頂にはなく、山頂から西方約1kmの地点、標高約986mの位置にある[3]。観測所の建設は1940年頃であり[4]、1955年(昭和30年)8月には、日本初の山岳レーダーが設置された[5]

1947年から1950年にかけて、後にシカゴ大学教授となり竜巻やダウンバーストの研究の権威となる藤田哲也氏が脊振山観測所および脊振山で、気象観測をおこなった[6]
航空機事故


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:32 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef