育成選手制度_(日本プロ野球)
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育成選手制度(いくせいせんしゅせいど)とは、日本のプロ野球日本野球機構、NPB)において育成を目的として球団の選手契約枠を拡大する制度。

この制度下で在籍する選手は育成選手と呼称され、その選手契約は育成選手契約ないし育成契約と呼ばれる。
概説

その名の通り、実戦よりも育成を主目的とした選手契約のための制度であり、この制度下に置かれる育成選手は一軍の公式戦に出場できないなどプロ野球選手としての活動に大幅な制限が掛けられる。育成選手はドラフト会議における育成ドラフトで獲得するほか、所属球団から自由契約になった後に育成選手登録に切り替えることができる。また外国人選手を育成選手とすることもできる。

社会人野球(日本野球連盟登録チーム)に在籍する選手は、「『技術向上と社会教育』という育成制度の理念から外れる」として育成ドラフトでの指名は原則行われていない(明確な規定があるわけではない)。ただし、退部したのち独立リーグ球団所属選手として育成ドラフトで指名された例や、通常のドラフトで支配下登録選手として入団後、故障や引退試合出場などの事情で育成選手として再契約した例はある。

育成契約を行う目的については厳密に運用されているわけではなく、育成という観点からは外れた以下のような契約事例も見られる。

トミー・ジョン手術など復帰に時間を要する手術・怪我を受けた選手のリハビリ(例:中川皓太

他球団を自由契約となった選手の能力見極め(例:中村紀洋

故障者の多発により二軍戦の出場選手が不足した際の緊急補充(例:駒月仁人

支配下登録枠を消費することなくオープン戦で引退試合に出場させるための措置(例:岩瀬仁紀

なお、上記の岩瀬は45歳で中日ドラゴンズと育成契約を結んでおり、育成選手の最年長記録である。また育成契約期間が最も長かったのは成瀬功亮(巨人・8年間)である。

基本的に支配下選手よりも下部に位置する概念とされ、支配下登録から育成登録に切り替えられた場合は「育成降格」や「育成落ち」、逆に育成契約から支配下登録された場合は「支配下昇格」などと表現される。
前史

NPBでは、1965年にドラフト制度が導入されてから、支配下登録選手枠の上限である60人を越えた場合、以前は練習生(公式戦の出場は出来ないが、チームの練習には参加可能)という扱いとなっていた。

しかし、その制度を利用して球団が有望な学生を他球団のスカウトから接触を絶つ目的で、球団職員という名目で契約してユニフォームを着せ、球団施設で練習をさせて囲い込むという形の練習生とする例(伊東勤大豊泰昭中込伸)が発生した。また、怪我や米国への野球留学で出場機会のない選手を、任意引退公示によって支配下から外す形の練習生とする例(荒木大輔工藤公康吉村禎章ほか多数)も一般的であり、これを理解していなかった河野博文が球団からクビを宣告されたと思い失踪騒動を起こしたことがあった。

そこで、1992年以後は練習生契約は禁止され、支配下登録選手枠の上限も70人に拡大された。しかし、アマ野球、特に社会人野球での廃部が相次ぎ、野球選手の裾野の狭まりへの対策と将来の有望な若手選手らを育成する観点から、2005年に「準支配下登録選手」の制度設置を審議。11月に開かれた実行委員会の席で正式に導入されることが決まった。導入決定の背景には、広島東洋カープ常務取締役球団本部長の鈴木清明の方針をヒントにした、清武英利(当時読売ジャイアンツ代表)の強い推進があった。

なおこの時、一部の球団より「選手枠の上限を撤廃すべき」という主張もあったがルール改正には至らなかった。

2007年中日ドラゴンズが上限一杯となった支配下登録選手枠を空けるため金本明博ウェイバー公示にかけた上で育成選手として再契約を行おうとしたことに日本プロ野球選手会が抗議するなど、制度が定着するに従って一部で論議が発生している。この騒動を受けて、シーズン中の支配下選手から育成選手への契約切り替えは禁止されることになった。
規定

育成選手とは連盟選手権試合(ペナントレース公式戦)へ出場可能な支配下登録を目指すため、野球技能の錬成向上およびマナー養成を目的とした選手のことを言う。

支配下登録選手(原則上限70人。ただし球団の合併や解散などがあった場合は上限80人)が65人以上いるチームが獲得できる。ただし7月31日時点で支配下選手数が65名に満たない球団は、育成選手を支配下選手に移行するか、新たな支配下選手の獲得を実行委員会に報告し、支配下選手を65名以上にすることで実行委員会が目的に害さないと判断し承認した時には保有することができる。

新人選手を育成選手として指名するには
2次ドラフト(育成ドラフトともいう。基本的に、大学生・社会人ドラフト会議の開催日に通常のドラフトに引き続き行うドラフト。ただし2005年度は準備に時間がかかったため12月に開かれた)にかけることが必要である。順位はドラフトの指名順で行われる。これは全指名120名枠に含めることとする(研修生を指名する場合を除く)。

ただし新人選手に該当しない選手(支配下経験がある人)、或いは外国人選手に関してはこの限りではない。

期間は3年とする(7月1日以降育成選手を採用した場合はそのシーズン(7月1日-12月31日まで)はカウントしない)。

これに付随して当初は3年間、同一チームと育成選手として契約した選手が、その球団から翌年度に支配下選手として契約を締結されない場合は(10月31日までに本人に通告・開示)その年の11月30日に自動的に自由契約選手となり、育成選手としては再度契約できないという条件があったが、2008年11月の日本プロ野球組織(NPB)と労組・日本プロ野球選手会の事務折衝により、支配下選手として契約を締結されない開示を受けた年の11月1日から4年目以降(1シーズンごと)は育成選手として再度旧所属球団または他球団との契約が可能となった。


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