肇慶府(ちょうけいふ)は、中国にかつて存在した府。宋代から民国初年にかけて、現在の広東省肇慶市一帯に設置された。
概要に属し、高要・四会の2県を管轄した[1]。
1280年(至元17年)、元により肇慶府は肇慶路と改められた。肇慶路は江西等処行中書省に属し、高要・四会の2県を管轄した[2]。
1368年(洪武元年)、明により肇慶路は肇慶府と改められた。肇慶府は広東省に属し、直属の高要・四会・新興・高明・広寧・陽春・陽江・開平・恩平の9県と徳慶州に属する封川・開建の2県、合わせて1州11県を管轄した[3]。
清のとき、肇慶府は広東省に属し、高要・四会・新興・高明・広寧・鶴山・陽春・開平・恩平・封川・開建・徳慶州の1州11県を管轄した[4]。
1913年、中華民国により肇慶府は廃止された。
脚注^ 『宋史』地理志六
^ 『元史』地理志五
^ 『明史』地理志六
^ 『清史稿』地理志十九
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