聖獣学園
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聖獣学園
Convent of the Sacred Beast
School of the Holy Beast
監督
鈴木則文
脚本掛札昌裕
鈴木則文
原作鈴木則文
沢田竜治
出演者多岐川裕美
山内えみこ
谷隼人
音楽八木正生
撮影清水政夫
編集田中修
製作会社東映
配給 東映
公開 1974年2月16日
上映時間91分
製作国 日本
言語日本語
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『聖獣学園』(せいじゅうがくえん 英題: Convent of the Sacred Beast 又は School of the Holy Beast)は、1974年2月16日公開の日本映画。91分。東映東京撮影所製作。多岐川裕美のデビュー作である[1]。併映は渡瀬恒彦主演『学生(セイガク)やくざ[1]。 

修道院を舞台にしたエロティックバイオレンス多岐川裕美ヌードを披露する他、拷問シーンなど体当たりの演技を見せた。封切り当時は全くヒットせず[1]、忘れ去られた映画であったが、多岐川が清純派イメージで人気を高めていた1980年頃、かつてヌードになっているとメディアに取り上げられ再公開されたことでも有名[1][2][3]
製作
劇画原作について

1972年6月に当時の岡田茂東映社長が、多角経営を進めるべく[4][5]、映画会社で初めて事業部制を敷き[6][7][8]、映像関連の事業や映像とは全く関係のないサラ金[9]パチンコ屋[9]進学塾[4]葬儀屋[10]ラーメン店など[11]、社員に色々やらせた[4]。岡田自身が新規事業として一番意欲を燃やしたのが出版事業[8]1973年2月に創刊した『テレビランド』に次いで[8]、同年5月に岡田と徳間書店社長・徳間康快とで企画したのが成人向け劇画雑誌コミック&コミック』(『別冊アサヒ芸能・コミック&コミック』)であった[8][12][13]。岡田と徳間が構想したのが、映画監督劇画家を組ませた映画作品を映画化するという[1][12][14]メディアミックスを先取りした野心的な企画で[12][14]、創刊号に掲載された主要8作品のうち、3作品が東映の監督原作によるものだった(中島貞夫はフリー)[15]。東映は1960年代以降、岡田の指揮下で[12]エロ暴力を前面に押し出した"不良性感度路線"を突き進み、特異なエネルギーを放っていたが[12]、当時最も熱気があった劇画と東映映画の二つのサブカルチャーを強引に結びつける力業で創刊された『コミック&コミック』は読者にも歓迎され二十数万部を記録した[12]。1972年8月より梶芽衣子主演・伊藤俊也監督で篠原とおる作の劇画「女囚さそりシリーズ」が成功したことで、劇画を新しい映画の原作供給源と理解していた[12]

創刊号の工藤栄一原作『刺客(てろ)』(作画:藤生豪)、中島貞夫原作『ラブ』(作画:上村一夫)、石井輝男原作『猟(あさる)』(作画:キシもとのり)に続いて[15]、1973年8月8日発行の第5号から連載されたのが鈴木原作による『聖獣学園』(作画:沢田竜治)で[1][14][16]深作欣二長田紀生原作、作画:小山春夫による『女狼』は1974年5月29日号から)、同誌編集部から鈴木への注文は「不良女子高生もので必ず映画化可能のエロとバイオレンス満載で」という依頼であった[1][14]。鈴木は1972年から1973年に『恐怖女子高校シリーズ[17]を手掛けていて二番煎じでは知恵がないと、スタッフとの雑談の際に出た"修道院、神に仕える清純なシスター"というアイデアを元に、1961年のポーランド映画『尼僧ヨアンナ』などからインスピレーションを得て同作の原作を書いた[1]劇画というメディアは当時、若者たちの間で急速なブームとして受け入れられていた[1]。映画化は決定事項で[1]、監督は岡田の指名で鈴木に決まった[1]。プロデューサーの高村賢治は高円寺東映(高円寺エトアール劇場)の子息で[1]、この後鈴木と『トラック野郎シリーズ』を手掛ける。
多岐川のスカウト

ヒロイン・多岐川魔矢役をオーデションで探すがイメージに合う新人が現れず[1]。スケジュールがギリギリのとき、高村からの情報で東京駅近くでアルバイトをしている女子大生の美しい娘がいると聞いて会いに行き交渉[1]学芸会すらやったことがないと渋るが岡田茂東映社長と対面させ合格、正式に主役デビューが決定した[1][18]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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