『聖母被昇天』スペイン語: La Asuncion de Maria
英語: The Assumption of the Virgin
作者エル・グレコ
製作年1577-1579年
寸法403.2 cm × 211.8 cm (158.7 in × 83.4 in)
所蔵シカゴ美術館、シカゴ
サント・ドミンゴ・エル・アンティグオ聖堂
『聖母被昇天』(せいぼひしょうてん、西: La Asuncion de Maria、英: The Assumption of the Virgin) は、ギリシャ・クレタ島出身であるマニエリスム期のスペインの巨匠エル・グレコが、スペイン到着後まもない時期 (1577-1579年) に制作した聖母マリアの昇天を主題とするキャンバス上の油彩画である。本作は、画家がサント・ドミンゴ・エル・アンティグオ聖堂(英語版)のために委嘱された祭壇衝立の1部をなしていたもので、『聖衣剥奪』(トレド大聖堂) とともにエル・グレコがスペイン・トレドで衝撃的なデビューを果たした記念碑的作品である[1][2]。画面右下の白い紙片 (カルテッリーノ) には、エル・グレコのギリシャ時代の作品と同じ、ギリシャ文字による署名と年記がある[2][3]。作品は、1906年にアメリカ合衆国のシカゴ美術館に収蔵された[3]。 エル・グレコは、おそらく1567年に故郷のクレタ島からヴェネツィアに渡り、その後ローマにも滞在してイタリアで美術の研鑽に励んだ。そして、1576年後半、35歳の時にローマを離れ、スペインに渡った。美術の先進国イタリアでは職業画家としての展望が開けなかったに違いない。スペインへの渡航はローマのアレッサンドロ・ファルネーゼの宮殿で親交のあったスペイン人聖職者で、トレド大聖堂参事会長を父に持つルイス・デ・カスティーリャの進言が大きかったと思われる[2]。当時、スペインでは国王フェリペ2世によりエル・エスコリアル修道院の装飾事業にイタリア人画家たちが招聘されていた。エル・グレコがフェリペ2世の宮廷画家になる大志を抱いていたとしても不思議ではない[2]。いずれにしても、スペイン到着後まもない時期にエル・グレコは本作『聖母被昇天』を含むサント・ドミンゴ・エル・アンティグオ聖堂の祭壇衝立と、トレド大聖堂の『聖衣剥奪』の受注を受けている[1][2]。祭壇衝立がヨーロッパでもっとも発達したスペインにおいて、その制作を委嘱されるということは将来の保証を得ることであった[1]。 サント・ドミンゴ・エル・アンティグオ聖堂はシトー会系の女子修道院であった。フェリペ2世の王妃イサベルの元女官・尼僧であったマリア・デ・シルバ 本作は祭壇衝立中央に配置された。聖母はその神聖さと純潔ゆえに死後、石棺から蘇り、キリストの使徒 (弟子) たちに見送られながら天国に迎えられようとしている[2]。この構図は、明らかに16世紀ヴェネツィア派の巨匠ティツィアーノによる『聖母被昇天』(サンタ・マリア・グロリオーザ・デイ・フラーリ聖堂) へのエル・グレコのオマージュである[1][2]が、画家がローマで学んだモニュメンタルな様式も加えられている。しかし、エル・グレコの独創もあり、それは「三日月」に乗る聖母の図像である。三日月は「無原罪の御宿り」を描いた絵画に見られるアトリビュートで、聖母崇拝を認めないプロテスタンティズムに対し、聖母の無原罪を熱烈に主張し、聖母を神に近い存在とした当時のスペインのカトリック信仰を反映したものとみなすべきである[1]。とはいえ、様式的に見ると、本作には後年の画家独自の画風はまだ見られない[2]。
歴史的背景
サント・ドミンゴ・エル・アンティグオ聖堂祭壇衝立
作品
脚注[脚注の使い方]^ a b c d e f g 井上靖、高階秀爾 編『カンヴァス世界の大画家』 12 エル・グレコ、中央公論社、1982年9月、80頁。.mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}ISBN 4-12-401902-5。