聖母大聖堂_(アントウェルペン)
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聖母大聖堂
オランダ語: Onze-Lieve-Vrouwekathedraal
聖母大聖堂

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所在地アントウェルペン
ベルギー
教派ローマ・カトリック
ウェブサイト ⇒www.dekathedraal.be
歴史
創設日12世紀以前
守護聖人聖母マリア
建築物
設計者ペーター・アッペルマン(英語版)[1]
様式ゴシック建築
着工1352年
完成1521年
建築物概要
尖塔数1(南塔は未完成)
尖塔の高さ123m
管轄
主教区アントウェルペン司教区(英語版)
聖職者
大主教
(大司教)ヨハン・ボニー(英語版)
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聖母大聖堂(せいぼだいせいどう)は、ベルギーアントウェルペン英語: アントワープ、フランス語: アンヴェルス)にある、ローマ・カトリック教会の教会(司教座聖堂)。
名称について

アントウェルペンを含む現在のベルギー北部(フランデレン地域)は、フラマン語オランダ語系)圏である。しかしながら、歴史的にフランス語が公用語として用いられた経緯(言語戦争#ベルギー)から、「ノートルダム大聖堂」が用いられることも多い。そのため、日本語文献でも「聖母(マリア)大聖堂」「ノートルダム大聖堂」あるいは地名を冠して「アントワープ(の)大聖堂」等の表記の揺れがある。

本項目では、フランダース政府観光局が日本語訳の「聖母大聖堂」を採用している[2]ことから、以下「聖母大聖堂」表記を原則として記述する。

各言語での表記は以下の通りで、いずれも「我らが貴婦人の聖堂」すなわち聖母マリアに献堂されたことを意味する。

オランダ語

Onze-Lieve-Vrouwekathedraal


フランス語

Cathedrale Notre-Dame


ドイツ語

Liebfrauenkathedrale


英語

Cathedral of Our Lady


概要.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}

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世界遺産ベルギーとフランスの鐘楼群を構成する建築物のひとつ。アントウェルペン市内では、市庁舎と共に登録されている。

ピーテル・パウル・ルーベンスによる『降架』を題材にした三連祭壇画で知られる。さらに日本では、同名小説を原作としたアニメーション作品『フランダースの犬』により、主人公の少年が観賞を熱望した絵画及び教会として有名になった。
歴史大聖堂建設に携わった建築家、ペーター・アッペルマンの功績を称える記念像が、第2の塔の下に設置されている[1]

12世紀の聖堂を前身とし、1352年ゴシック様式で建設が開始された[3]。ジャン・アッペルマン(英語版)とペーター・アッペルマン(英語版)父子により[1]、徐々に建設が進んだ後、1472年から1500年にかけヘルマン・デ・ワーゲマーケレ(オランダ語版)の設計により二つの側廊が完成した[3]。ヘルマンの息子ドミーンが、アントウェルペンの経済発展を背景に、建築を一挙に進めた[3]

1518年に完成した尖塔(北塔)は123mあり、ブルッヘ聖母教会の122mを超え、ネーデルラント(低地地方)における最も高い建築物となった[4]1521年に、南塔を除き、完成した。神聖ローマ皇帝カール5世ブルゴーニュ公位を継承、兼スペイン王)は、1521年に尖塔を見て「一つの王国に値する」と称賛した[5]。アントウェルペンの発展を象徴する建築物として、絵画の背景にも描かれた[6]

1533年火災により被害を受けた[7]1559年にアントウェルペン教区(英語版)の設立により、司教座聖堂となる。しかし、1566年にはゴイセンネーデルラント17州におけるカルヴァン派)の聖像破壊運動により、美術品が破壊された[7]

17世紀初頭、ピーテル・パウル・ルーベンスがアントウェルペンに戻ると、アルブレヒト大公イザベラ大公妃の宮廷画家となり、多数の祭壇画を制作した[8]。本聖堂に納められた『キリストの昇架』、そして『キリストの降架』や『聖母被昇天』がこの時期の作品である。

1801年コンコルダートにより、司教区が再編され、司教座を失った。1961年に、アントウェルペン司教区が再設立されたことを受け、再び司教座聖堂となった。

1872年に、英国出身の女性作家ウィーダが『フランダースの犬』を出版した。作中には、本聖堂とルーベンス作品がモチーフとして登場する。2003年になって、聖堂前に記念碑が立てられ、さらに2017年に新たな記念碑が建立されている(フランダースの犬の項を参照)。


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