聖教新聞
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この項目では、創価学会の日刊機関紙である聖教新聞について説明しています。発行元の事業者については「聖教新聞社」をご覧ください。

聖教新聞
SEIKYO SHIMBUN

創価学会世界聖教会館
(東京都新宿区信濃町7番地。2019年11月18日に供用を開始した現在の本社屋[1][2]
種類日刊紙
サイズブランケット判

事業者聖教新聞社宗教法人創価学会
本社(東京都千代田区西神田2-3→)
(東京都新宿区信濃町32→)
(東京都新宿区信濃町18→)
東京都新宿区信濃町7番地[1][2]
代表者原田稔(創価学会会長)
萩本直樹(主任副会長・代表理事)
創刊1951年(昭和26年)4月20日
前身大白蓮華
(1949年 - 分離独立)
言語日本語
価格1部 77円[3]
月極
【紙版】1,934円
【電子版】1,731円
発行数550万部(公称)
ウェブサイト聖教新聞(創価学会の機関紙)の公式サイト
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聖教新聞(せいきょうしんぶん)は、聖教新聞社が発行する日本在家仏教新宗教団体・宗教法人創価学会の日刊機関紙である。1951年(昭和26年)4月20日創刊。

朝刊のみの発行。夕刊は発行していない。発行部数は公称550万部。「聖教」は釈迦の説いた一代聖教に由来する。同紙を出版している聖教新聞社は、宗教法人創価学会の機関紙発行・出版部門であるため、独立会社としての法人格がない。なお同様の手法は冨士大石寺顕正会の『顕正新聞』(顕正新聞社)や、天理教の『天理時報』(天理教道友社)でも採られている。

また聖教新聞は日本新聞協会および日本ABC協会に加盟していない。公称発行部数は1990年代から2006年まで「550万部」となっているが、これは聖教新聞社の発表によるものである。
歴史

1950年(昭和25年)8月24日 - 当時の創価学会理事長(後に第2代会長)戸田城聖が、秘書で後の第3代会長池田大作に発刊の意図を初めて述べる。創価学会はこの日を『聖教創刊原点の日』と定める[4][5]

1951年(昭和26年)4月20日 - 創刊。旬刊2面、発行部数は5000部。当初は東京都新宿区百人町の町工場だった建物を編集作業室とし、翌月に国鉄中央線市ケ谷駅近くの新宿区市谷田町にあった雑居ビルへ移転する[6]

1953年(昭和28年)

9月6日 - 週刊化。

11月18日 - 創価学会本部が千代田区西神田から新宿区信濃町に移転。同時に市谷田町のビルを引き払う[7][8]


1955年(昭和30年)6月1日 - 販売店、配達員制度が始まる。

1957年(昭和32年)8月2日 - 創価学会本部隣接地に初の独立した社屋を構える。紙面が8面になる。

1960年(昭和35年)9月3日 - 週2回刊化。

1961年(昭和36年)5月3日 - 旧本社社屋(東京都新宿区信濃町18番地)が完成。地上3階、地下1階建て[9]

1962年(昭和37年)1月1日 - 週3回刊化。

1965年(昭和40年)1月1日 - 池田の小説『人間革命』が連載開始。

1965年(昭和40年)7月15日 - 日刊化。

1970年(昭和45年)9月28日 - 旧本社社屋隣接地に新社屋が完成。地上7階、地下3階建て[10]

1971年(昭和46年)1月4日 - 紙面が12面になる(現在まで変わらない)。

1988年(昭和63年)1月18日 - 電算写植(CTS)による新聞制作システムに移行。

1990年(平成2年)7月19日 - 紙齢10,000号。

1993年(平成5年)11月18日 - 池田の小説新・人間革命』が連載開始。

2001年(平成13年)4月20日 - 創刊50周年。

2006年(平成18年)11月18日 - 聖教新聞の公式ウェブサイト「SEIKYO online」が開設される。

2008年(平成20年)7月15日 - 一面記事が連日カラー化される。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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