聖徳記念絵画館
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聖徳記念絵画館
Meiji Memorial Picture Gallery

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施設情報
専門分野明治天皇の業績を描いた絵画
事業主体明治神宮
開館1926年大正15年)10月22日
所在地東京都新宿区霞ヶ丘町1-1
明治神宮外苑
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度40分43.6秒 東経139度43分3.5秒 / 北緯35.678778度 東経139.717639度 / 35.678778; 139.717639座標: 北緯35度40分43.6秒 東経139度43分3.5秒 / 北緯35.678778度 東経139.717639度 / 35.678778; 139.717639
プロジェクト:GLAM
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正面から見た絵画館ライトアップされた夜の絵画館

聖徳記念絵画館(せいとくきねんかいがかん)は、東京都新宿区明治神宮外苑にある美術館

神宮外苑の中心的な建物で、幕末から明治時代までの明治天皇の生涯の事績を描いた歴史的・文化的にも貴重な絵画を展示している。維持管理は宗教法人明治神宮の予算で賄われており、他からの援助は一切受けていない。
歴史

明治天皇崩御後に建築計画が持ち上がり、大喪の礼が行われた旧青山練兵場の葬場殿跡地で1926年大正15年)に建設された。そもそも明治神宮外苑の造営の主たる目的でもある建物である。現在でも、建築当初のままのドーム状の荘厳な建物を見ることができる。

建物の完成と比べ、絵画館に納める絵画の製作は遅れに遅れた。1936年(昭和11年)4月21日、壁画80枚が収められて、閑院宮総裁出席の下で完成記念式典が挙行されたが、式典の当日まで加筆を行う画家もいた[1]

1968年昭和43年)には、明治維新100年目を記念して絵画館学園が同建物内に開校され、絵画や陶芸などを学ぶ施設も備わった。また、1990年平成2年)からは同建物の夜間のライトアップが実施されるようになった。2011年(平成23年)、「直線的意匠と先駆的技術を採用した、わが国初期の美術館建築」と評価され、明治神宮宝物館と共に国の重要文化財に指定された。
建物の概要

着工:
1919年(大正8年)3月5日

竣工: 1926年(大正15年)10月22日

鉄筋コンクリート2階建て。面積: 延べ4700 m2

高さ: 約32 m(ドームの頂上部) 幅: 約112 m 奥行き: 約34 m。

設計原案: 小林正紹(公募による選定)[2]

実施設計: 高橋貞太郎小林政一
.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{display:flex;flex-direction:column}.mw-parser-output .tmulti .trow{display:flex;flex-direction:row;clear:left;flex-wrap:wrap;width:100%;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{margin:1px;float:left}.mw-parser-output .tmulti .theader{clear:both;font-weight:bold;text-align:center;align-self:center;background-color:transparent;width:100%}.mw-parser-output .tmulti .thumbcaption{background-color:transparent}.mw-parser-output .tmulti .text-align-left{text-align:left}.mw-parser-output .tmulti .text-align-right{text-align:right}.mw-parser-output .tmulti .text-align-center{text-align:center}@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{width:100%!important;box-sizing:border-box;max-width:none!important;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow{justify-content:center}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{float:none!important;max-width:100%!important;box-sizing:border-box;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow>.thumbcaption{text-align:center}}神宮外苑造成案(1917年案)。現行の1918年案。絵画館は葬場殿跡に配置されている。

設計は公募による建築設計競技(1918年実施)で1等となった大蔵省臨時建築部技手小林正紹の案がもとになっている。佐野利器の指導のもと、明治神宮造営局の高橋貞太郎が設計をまとめ[3]、後任の小林政一が完成させた。

外観は花崗岩貼り、中央に径15メートルのドームを戴く左右対称の構成とし、当時流行のセセッション風の重厚な意匠でまとめている。内部中央の大広間の装飾は、床に大理石モザイクタイル、壁面に色変わりの大理石石膏彫刻、天井に石膏彫刻を用いている。同時期に建設された明治神宮宝物殿が鉄筋コンクリート造ながら外観は伝統的木造建築のそれを忠実に再現しているのとは対照的に、この絵画館には当時最新式の西洋の技術と意匠が用いられている。これら両建築の様式の違いは、日本の近代化の象徴であるとともに伝統文化の継承者でもあるという明治天皇の二面性を象徴するものだといわれている[4]

建物は2011年(平成23年)に重要文化財に指定。絵画館のほか、以下の物件が重要文化財の附(つけたり)として指定されている。

葬場殿趾円壇 - 絵画館の裏手にある

角池(壁面蛇口付、外周路地を含む) - 絵画館正面にあり、1959年(昭和34年)から3年間「かっぱ天国」という名で子供用プールとして使用された。

丸池(噴水付、腰掛4台を含む) - 神宮外苑のイチョウ並木の終点付近にある 

イチョウ並木神宮外苑銀杏並木 (10月)

明治神宮外苑の入り口でもある青山通りからこの建物を見ると、イチョウ(銀杏)の並木が絵画館が中心になるように沿って植えられている。絵画館に近づくにつれより低いイチョウが植えられており、遠近法を用いて実際の距離より絵画館が遠方にあるように見えるよう表現されているのも特徴的で、建物自体の荘厳さを高めている[5]

これらのイチョウは、1926年(大正15年)の明治神宮外苑創建に先立って、1923年(大正12年)に植栽されたもので[6]、並木の総本数は雄木44本、雌木102本の合計146本[7]新宿御苑の同じイチョウから種を採取した、いわば「兄弟姉妹」である[8]。設計者は、関東大震災後の復興事業で隅田公園錦糸公園山下公園などの建設も指揮した造園家折下吉延[7]。造営の責任者は、当時道路工学の権威であった藤井真透が務めた。

1994年(平成6年)には、読売新聞社選定の「新・日本街路樹100景」の一つに選定されており[9]、多くの映画やテレビドラマのロケ地ともなっているほか、紅葉の季節には多くの観光客が訪れる。変わった所では、『笑点』の大喜利の座布団10枚獲得景品として、並木の下に落ちていた銀杏が贈呈されたことがある。

交通アクセスは、電車は、JR信濃町駅より徒歩10分、地下鉄外苑駅・青山一丁目駅より徒歩5分、車は、首都高速外苑出口から5分。駐車場は396台、1日1回1600円。
ギャラリー


9月の銀杏並木

秋は紅葉で賑わう (11月)

黄色一色となる並木道 (11月)


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