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Saint, 12th century fresco in Staraya Ladoga
聖人(せいじん/しょうにん、※呉音:しょうにん、漢音:せいじん)とは、一般的に、徳が高く、人格高潔で、生き方において他の人物の模範となるような人物を指す。主に特定の宗教・宗派の中での教祖や高弟、崇拝・崇敬対象となる過去の人物をさすことが多い。そして最も優れ、徳の高い聖人のことを大聖(たいせい)[注釈 1]という。
概要[ソースを編集]
儒教の聖人
仏教の聖人
キリスト教の聖人
イスラム教、ユダヤ教、ヒンドゥー教、サンテリアなどの宗教の聖人
日本語では元来は儒教の聖人のことであり、次に仏教での聖人(上人[しょうにん]、聖[ひじり])のことであった。生きている人にもすでにこの世を去った人にもあてはめられ、世界の多くの宗教で同じような概念があるとして、キリスト教では日本布教の際に"Sanctus"(ラテン語)・"Saint"(英語・フランス語)を「聖人」と翻訳した。そのような宗教の中で、「聖人」と呼ばれる人々は特定宗教の信徒にとり模範となり、その生涯が記録され、後世に語り継がれることが多い。
各宗教によってニュアンスにばらつきがあるが、現代の宗教で「聖人」という概念が存在するのは、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教、ヒンドゥー教、サンテリアなどが挙げられる。ただしこれらの宗教でも宗派・教派によって扱いが異なる場合があり、キリスト教プロテスタントの一部やイスラム教のワッハーブ派などでは聖人崇敬は否定されている。また、聖人に対する崇敬を行うキリスト教教派では、教会によって公式に認定(列聖)されなければ聖人と認められない。
儒教[ソースを編集]孔子(E.T.C. Wernerの、1922年刊行の『中国の神話と遺産』に掲載された挿絵)
中国の儒教における聖人とは、偉大・崇高・高貴の三要素を兼ね備えている人物を指す。即ち、政治指導者としてだけではなく、道徳の体現者としても理想とされる人物である。高貴だが凡庸な人物、高貴だが下劣な人物、あるいは下賎だが崇高な人物は該当しない。対義語で、凡庸・下劣・下賎の三要素を兼ね備えている人物は「小人」という。
もっとも理想の聖人とされるのは、堯と舜、二人の聖天子である。続く「三代」と言われる時代の統治者、すなわち夏王朝の創業者である禹、殷王朝の創業者である湯王、周王朝の創業者である武王もまた聖人として位置づけられ、堯と舜をあわせて「堯舜三代」と呼ばれる。
また、周王朝の創業に力を尽くした周公旦、儒学の大成者である孔子もまた聖人として位置づけられている。孟子は聖人ではないが、それに次ぐ存在であるとして「亜聖」と呼ばれる。
宋代になると、士大夫たちは孔子・孟子を継ぐ聖人となることを目指すようになり、「聖人、学んで至るべし」というスローガンのもと、道徳的な自己修養を重ねて聖人に到る学問を模索した。明代の陽明学では「満街聖人」という街中の人が本来的に聖人であるとする主張をし、王や士大夫のみならず、庶民に到るすべての人が聖人となることができる可能性を見いだした。また、日本では近江国(滋賀県)出身の江戸時代初期の陽明学者中江藤樹は近江聖人と称えられている。
仏教[ソースを編集]詳細は「聖者_(仏教)」を参照
日本の仏教宗派の一部の宗祖に対する敬称として、一般的な「上人(しょうにん)」ではなく、「聖人(しょうにん)」という敬称を付する場合がある。
一般的に「聖人」という敬称で呼ばれる仏教者は、法然(浄土宗)、親鸞(浄土真宗)、日蓮(日蓮宗)らである。なお、浄土真宗では開祖の親鸞のみならずその師である法然に対しても「聖人」と呼称されたことがあるが、通例では親鸞に対してのみ「聖人」を用いる。