聖ピオ十世会
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聖ピオ十世会
略称SSPX
標語Christus vincit, Christus regnat, Christus imperat
(キリストは勝利し給う、キリストは統治し給う、キリストは命じ給う)
設立1970年
本部スイス、メンツィンゲン
総長ダヴィデ・パリャラーニ
重要人物マルセル・ルフェーブル - 創立者
ウェブサイト ⇒http://www.fsspx.org
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聖ピオ十世会(せいピオじっせいかい、ラテン語: Fraternitas Sacerdotalis Sancti Pii X、フランス語: Fraternite sacerdotale Saint-Pie-X、: Society of St. Pius X、略称:SSPX) は、カトリック教会の伝統主義を主張する団体である。1970年フランスマルセル・ルフェーブル大司教によって創立された。同会は1970年11月にフランソワ・シャリエール司教によって、6年期限の仮認可を得たものの、1975年に新任の司教によって取り消され、1988年には教皇の許可を得ない司教聖別[注 1]を行ったことから創立者を含む司教ら6名が教皇庁から破門される事態となった。その後2009年に破門は取り消され、教皇庁との関係修復に向けて現在交渉中である。2015年、教皇フランシスコは、「誰も排除しない」として、いつくしみの聖年期間中の聖ピオ十世会司祭のゆるしの秘跡を有効とする声明を出した[1]
概要

特徴としては、典礼分野におけるラテン語使用の厳守とトリエント・ミサの執行の継続を唱え、第2バチカン公会議に基づく1970年以降の典礼改革後の方式による典礼を行う現在のカトリック教会のあり方を認めていない。

1988年司教聖別以来、現在ローマ教皇庁によって「聖職停止」の処置を受けており、したがって、同会に所属する司祭であることには違いないが、ミサ洗礼などその職務は禁止されている状態にある。教会法的には彼らの執り行うミサは有効ではあるが、2002年の教皇立委員会前長官カミーユ・ペルルが語るところによれば、同会の司祭によるミサは死の危険が迫り他に選択肢のないときなど「厳密な意味において」主日の義務を満たすとされる[2]。聖ピオ十世会と教皇庁との対話は続いており、2015年、教皇フランシスコは「誰も排除しない」として2015年12月8日から始まる特別聖年の期間中、聖ピオ十世会による「ゆるしの秘跡」を有効とすると発表した。『カトリック新聞』は、「同会はもはや“離教”の状態にあると見なされてはおらず、同会の司教たちの破門制裁は2009年に解除されているが、同会の司祭らが授ける秘跡が有効で合法的かどうかについては疑問が残されている。」としている[1]。同新聞はさらに、教皇庁広報局長ロンバルディ神父はバチカンと聖ピオ十世会指導者たちとの接触は続いていると確認した、とし、教皇フランシスコは書簡の中で、「近い将来にも解決策が見いだされ、(聖ピオ十世)会の司祭や上長たちとの十全な交わりが回復されること」を願っている、としている[1]
歴史
ローマから離反の経緯

聖ピオ十世会は第2バチカン公会議1962年?1965年)に伴う変化への反対から生まれた。創立者及び中心人物は、アフリカでの宣教活動に長年従事したフランス人マルセル・ルフェーブル大司教であり、彼は聖霊修道会の総長を1962年から1968年まで務めていた。1968年に修道会が憲章を改訂した時に、彼はそれを非カトリック的かつ近代主義的であると捉えて退任した。退任後、間もなく、ローマのフランス人神学生は彼に接近した。彼等は伝統的な教義への固執のために迫害されていると語り、どこの保守的な神学校で学業を修められるか助言を求めたという[3]スイスのエコンにある聖ピオ十世会の神学校

神学生たちの相談に乗っているうちに、彼らをスイスで指導するようになった。やがてルフェーブル大司教に賛同した司祭たちとともに1970年に「聖ピオ十世会」を設立、信徒から寄進を受けてスイス南西部のエコンに神学校を設立し、今でも同会の本部になっている。

ルフェーブル大司教は修道会としての認可を求めてローマ教皇庁と折衝していたが、同会が第2バチカン公会議の改革への批判を行っていたことが、まずフランスの司教たちから問題視され、やがて教皇庁との関係も悪化していった。1970年11月に現地のシャリエール司教の仮認可を得たものの、1975年には新任の司教によって取り消され、1976年5月には教皇パウロ6世がルフェーブル大司教を公式に叱責する事態となった。教皇による司教の公式な叱責は200年ぶりのことであった。

1988年6月30日、ルフェーブル大司教は教皇庁の警告を無視して、教皇庁の認可なく会所属の4名の司祭司教に聖別(叙階[注 1])した。ブラジルのカンポ・ドス・ゴイタカセスの引退した司教であるアントニオ・デ・カストロ・マイヤーも共同司式者として聖別式(叙階式)に補佐した。教皇の許可なく司教叙階を行うことは教会法で自動破門が適用される行為であるため、事態を重く見た教皇ヨハネ・パウロ2世は使徒的書簡「エクレジア・デイ」(神の教会)を発布して大司教の無認可叙階を非難し、公にルフェーブル大司教と彼に聖別(叙階)された4人の司教、並びに共同司式者のカストロ・マイヤー司教の破門を宣言した[4]
教皇庁との交渉

以後の12年間、教皇庁と聖ピオ十世会との間にほとんど対話は行われなかった[5]が、このような状態は、この団体の催したローマへの聖年の大規模な巡礼の時に終わりを告げた[6]

2009年1月、教皇庁は1988年の司教叙階によって宣告されていたこの団体の司教たちに対する破門を解除し、この団体の成員達が、すみやかなる教会との一致に戻ることにより、これに従うようになることを希望する、と発表した。同年3月、教皇ベネディクト16世は、2009年3月に「規律上というより教理上の理由により、聖ピオ十世会はカトリック教会の中に法的地位を持っておらず、その聖職者は教会内の不法な聖職者によって養成されている」と宣言した[7]。これに対し、聖ピオ十世会側は、ローマ教皇庁がその存在と使徒職の合法性や有効性についていくつかの承認を与えたなどと主張している[8]。また、同年6月に、聖ピオ十世会が教皇庁の反対を押し切ってアメリカで13名の司祭を叙階した時には、それに対して教皇庁は「今回の叙階を正当なものとは認めない」とし、また現地カトリック・ウイノナ司教区の報道官は、「教理上の問題がはっきりしない限り」、聖ピオ十世会はカトリック教会の中で法的な地位はなく、叙階は有効ではない」とコメントし[9]、同会と教皇庁の関係の修復が容易ではないことを示す形となった。同じく2009年6月、フランツ・シュミットバーガー神父(聖ピオ十世会ドイツ管区長)は、聖ピオ十世会はオプス・デイのような属人区を目指している、と発言している。ただしシュミットバーガー神父の考えは、「教義的な問題点は明らかに残り、未だに聖ピオ十世会は教会内で非合法状態にあり、その聖職者たちはいかなる聖務も合法的にできない状態にあるので、教会の合同聖餐への道を再発見することによって」この団体になおも帰一を望んでいる教皇庁と見解を等しくするものではない[4]2011年、バチカンプレスの責任者、フェデリコ・ロンバルディ神父は2009年3月のベネディクト16世の声明を再度、繰り返した。「聖ピオ十世会は教会法上の立場を持たない限り、その聖職者達は教会の中で合法的に聖務を行えない。教義上の問題が解消され、この団体とその聖職者達が教会内に立場を得るまでいかなる聖職行為も教会の中で合法的には行えない」[10]

その後、総長シュミットバーガー神父、及びベルナルド・フェレー司教の下で、一致に向けたバチカンとの交渉は続き、2015年、教皇庁広報局長のフェデリコ・ロンバルディ神父(イエズス会)は、教皇庁と聖ピオ十世会との接触は続いているとしたうえで、2015年12月8日から翌年11月までの間の「いつくしみの特別聖年」期間中、教皇フランシスコはこの団体の中で行われるゆるしの秘跡を有効とすると発表した。また、教皇は十全な交わりが早く回復されることを願っている、としている[1]
現況

聖ピオ十世会の主張によると[11]2009年11月現在、同会には491人の司祭が31ヶ国におり、32ヶ国以上で活動している。


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