聖バーソロミュー病院
Barts Health NHS Trust
聖バーソロミュー病院(せいバーソロミューびょういん)は、ロンドン・スミスフィールドに存在する病院である。正式名称は "The Royal Hospital of St Bartholomew"(王立聖バーソロミュー病院)。また略称の "Barts"(バーツ)の名でも知られている。
現在はバーツ・ヘルス・NHSトラスト(英語版)の一角を成している。
歴史
初期(英語版)によって設立された(彼は1144年に亡くなり、病院近くのセント・バーソロミュー・ザ・グレート教会に葬られている)。
ヘンリー8世の行った修道院解散は、バーツの病院経営には影響しなかったものの、収入が目減りしたことで、バーツを危機的立場に追い込んだ。バーツは、1546年12月に、シティ・オブ・ロンドン共同体(英語版)から認可を受ける合意に調印したことで、ヘンリー8世により再設立されることになる。この内容は、1547年1月に発行され、バーツが不動産や金銭の寄付を受けると定めた専売特許証でも、再確認されている。病院は法的に、『ヘンリー8世設立・シティ・オブ・ロンドン・ウエストスミスフィールド救貧院』(英: House of the Poore in West Smithfield in the suburbs of the City of London of Henry VIII's Foundation)と命名されたが、この名称が一般に使われたことは無い。初代病院長は、ヘンリー8世の侍医(外科医)で、初期の解剖学者でもあったトーマス・ヴィカリー(英語版)が務めた[1]。
この病院では、医学進歩に繋がる研究が多数行われた。例えば、17世紀に、ウィリアム・ハーヴィーは血液循環説に関する研究をバーツで行っている。また、18世紀には、パーシヴァル・ポットとジョン・アバーネシー(英語版)によって、近代外科学の重要原理が定められた。更に、19世紀には、バーツ所属のベッドフォード・フェンウィック夫人(英語版)が、看護職の発展に尽力している[2]。
1839年から1872年にかけてのバーツの死亡率報告書によると、この時期の死因として最も多いのは、術中の外傷と、術後の感染である。これらの外傷性の死亡を除いた場合には、結核が死因のトップとなっている[3][注 1]。
1948年に国民保健サービスが設立されると、バーツは正式に『聖バーソロミュー病院』の名で知られるようになる。 バーツは、英国で現在も医療提供している医療施設として最古のものであり、創建当時と同じ場所に建物がある。そのため現在では、長い歴史もさることながら、建築学的にも重要な価値を持っている。病院の『ヘンリー8世・エントランス』と呼ばれるエントランスは、現在でも一般に最も使われる入口である。また、ゲートハウス上に据えられたヘンリー8世の石像は、ロンドンに現存する彼の石像として唯一のものである。 バーツのメイン広場は、1730年代に ジェームズ・ギブス
建物
画像外部リンク
en:File:Bartshogarth-800.jpg
? ホガースの壁画『ベセスダのプール』
聖バーソロミュー病院は、12世紀の設立からずっと同じ場所に位置し、ロンドン大火とロンドン大空襲をくぐり抜けてきた。附属博物館では、創立当時からの医療の発展を示す展示や、病院の歴史を伝える展示が行われている(開館は毎週火曜から金曜)。展示室に繋がるドアは、病院のオフィシャル・エントランスホールに繋がっている。階段の壁には、ウィリアム・ホガースの壁画が2枚飾られている(1736年の『ベセスダのプール』"The Pool of Bethesda" と1737年の『善きサマリア人』"The Good Samaritan [注 2])。