聖ジョージ大聖堂_(サザーク区)
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .hatnote{margin:0.5em 0;padding:3px 2em;background-color:transparent;border-bottom:1px solid #a2a9b1;font-size:90%}

聖ジョージ大聖堂 (カムデン区)」あるいは「サザーク大聖堂」とは異なります。

聖ジョージ大聖堂
聖ジョージメトロポリタン大聖堂

.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}聖ジョージ大聖堂サザーク区の地図を表示聖ジョージ大聖堂セントラル・ロンドンの地図を表示

.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯51度29分52秒 西経0度06分28秒 / 北緯51.4978度 西経0.1079度 / 51.4978; -0.1079座標: 北緯51度29分52秒 西経0度06分28秒 / 北緯51.4978度 西経0.1079度 / 51.4978; -0.1079
所在地サザーク区グレーター・ロンドン
イングランド
教派カトリック
ウェブサイト ⇒www.stgeorgescathedral.org.uk
歴史
聖別(成聖)1848年
建築物
現況カテドラル
用途稼働中
設計者オーガスタス・ウェルビー・ノースモア・ピュージン
様式ゴシックリバイバル
管轄
大主教区/大司教区サザーク
教会管区サザーク
テンプレートを表示

聖ジョージ・メトロポリタン大聖堂(英語: The Metropolitan Cathedral Church of St George)、通称サザークの聖ジョージ大聖堂(英語: St George's Cathedral, Southwark)は、南ロンドンカトリック教会サザーク大司教区大聖堂であり、サザーク大司教の大司教座である。

この大聖堂はカトリックにおけるサザーク管区の母教会である。サザーク管区はロンドンのテムズ川から南側の全地域、ケント州サリー州北部も含むサザーク大司教区と、アランデルおよびブライトンポーツマスプリマスの管区をカバーしている。サザーク大司教の首都大司教座大聖堂である。

聖ジョージ大聖堂はロンドンのランベス・ロードとセント・ジョージ・ロードが交差する箇所にあり、帝国戦争博物館の向かい側に建っている。大聖堂のすぐ北、ウェストミンスター・ブリッジ・ロード上に聖ジョージ大聖堂ローマンカトリック小学校とカトリック海外開発庁 (CAFOD) 本部がある。
来歴1942年にザ・ブリッツで甚大な被害を被った大聖堂内を歩くディクソン神父

聖ジョージ大聖堂は1848年にでき、1852年に大聖堂となった。イングランド宗教改革以来、イングランドウェールズでカトリック大聖堂の地位を得た教会は聖ジョージを含めて4つしかなく、ロンドンでははじめての例であった[1]オーガスタス・ウェルビー・ノースモア・ピュージンが設計した。ピュージンはチャールズ・バリーとともに英国議会議事堂再建の設計をしたことで有名な建築家である。ピュージンは1848年8月10日、新婦のジェーンとここで結婚式をあげたが、これは聖ジョージ大聖堂ではじめての結婚式であった。ピュージンにとっては3度目の結婚であった。大聖堂は第二次世界大戦の空襲で大きな被害を被り、1958年に再建された。それ以来、大聖堂は破壊される前と同様、地元のコミュニティの中で中心的な役割を果たすようになっており、多くの著名な来訪者を迎えている。1998年にはダライ・ラマ14世を迎え、1982年にはヨハネ・パウロ2世が来訪した。大聖堂は品質の高いステンドグラスを多数保有しており、そのうち1枚にはヨハネ・パウロ2世も描かれている。

2011年のイースターの際に、1958年に作られたジョン・コンプトン・オルガンの部分的修復と、ジョージ・ペイス聖歌隊席の内陣への設置が実施された。これはイングランド国教会セント・オールバンズ大聖堂からの贈りものである。聖ジョージ大聖堂は、第二次世界大戦でイギリスに爆撃されたドイツノルトライン=ヴェストファーレン州にあるパーダーボルン大聖堂と、地元のイングランド国教会の大聖堂であるサザーク大聖堂と密接な連携を保っている。
音楽

聖ジョージ大聖堂合唱団は1848年から大聖堂のミサやイベントなどで演奏を行っており、2015年にBBC1で放送されたクリスマス深夜ミサなどをはじめとして、BBCのラジオやテレビにも出演している[2]
現況

大聖堂は帝国戦争博物館に隣接しているほか、サウス・バンクテムズ川ウェストミンスター橋ロンドン・アイ、聖トマス病院、ウォータールー駅などが徒歩圏内にある。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:12 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef