聖シルベストロ教皇騎士団勲章
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聖シルベストロ教皇騎士団勲章。中央に聖シルウェステル教皇の肖像が見える

聖シルベストロ教皇騎士団勲章(: Ordo Sanctus Silvestri Papae)は、ローマ教皇から授与される騎士団勲章5つのうち1つ。名称は4世紀のローマ教皇、シルウェステル1世(シルベストロ1世、シルヴェストロ1世)に由来する。ヨーロッパ各国語での綴りに準じて、シルベスター、シルウェステル、シルベストルなどと表記する場合も多い。
騎士団と勲章

職務や技能によってカトリック教会の活動に貢献した一般人を顕彰するためのもので、カトリック信徒以外も対象となっている。通常は教区司教の推薦が教皇大使を通してバチカン国務長官に取り次がれ、それに基づき騎士団員に任命され、その証として勲章が授与される。

教皇騎士団員に列せられる栄誉に対してはいかなる義務も伴わない。しかし司教司祭叙階のような教区における重要行事に招待される習慣となっており、その際には騎士団の制服を着用する。
等級

現在の等級は3つあるが、このうち司令官については星章ありとなしの区分があり、実質4等級となっている。

大十字(大綬と星章)

司令官(中綬・星章ありまたはなし)

騎士(小綬)
左から騎士、司令官、司令官(星章あり)、大十字
歴史

聖シルベストロ教皇騎士団の起源は、黄金拍車騎士団あるいは黄金民兵団(Militia Aurata)と呼ばれていたもので、教皇騎士団の中では最も古く創設者は諸説あって確かなことはわかっていない。スフォルツァ家などに任命特権が与えられたため、騎士号が乱発され権威が低下していたところ、1841年グレゴリウス16世が任命特権を撤回し、人数に制限を設けるなどの改革を行う。このとき名称はそのままにシルウェステル1世守護聖人とした。その後、1905年ピウス10世が高い格式を持った黄金民兵団と広く一般人を顕彰する聖シルベストロ教皇騎士団とに分割した。かつて男性に限られていたが、1994年ヨハネ・パウロ2世が女性にも対象を拡大した。
著名な受章者

張景恵(大十字)

張燕卿(大十字)

謝介石(大十字)

ウィリアム・ドノバン(1944年、大十字)

フランツ・ヨーゼフ・シュトラウス(1962年、大十字)

オスカー・シンドラー(1968年、大十字)

ゲオルク・ツー・メクレンブルク(大十字)

カール・アウグスト・フォン・トゥルン・ウント・タクシス(大十字)

オットー・フォン・ハプスブルク(大十字)

ボブ・ホープ

ベルンハルト・クロル(2007年、星章あり司令官)

日本の受章者

西源四郎(1908年、司令官)[1]

戸田氏共(1919年、大十字)[2]

西園寺八郎(1919年、司令官)[2]

吉田美利(1919年、司令官)[2]

高橋勇治(宮内属、1919年、騎士)[2]

斎藤実(1922年、大十字)[3]

松永武吉(1922年、司令官)[4]

水野錬太郎(1922年、有星司令官)[5]

関屋貞三郎(1922年、大十字)[6]

大谷正男(1922年、有星司令官)[6]

鮭延信道(1922年、有星司令官)[7]

埴原正直(1922年、大十字)[8]

笠間杲雄(1922年、司令官)[9]

稲畑勝太郎(実業家、1923年、有星司令官)[10]

柳原義光(1926年、大十字)[11]

小笠原長幹(1926年、大十字)[11]

松平頼寿(1926年、大十字)[11]

松浦鎮次郎 (文部官僚、1926年、大十字)[12]

望月軍四郎 (実業家、1926年、有星司令官)[12]

渡邊滋 (東京裁縫女学校校長、1926年、騎士)[12]

羽場従一 (東京日日新聞記者、1926年、騎士)[12]

古河虎之助(1934年、大十字)[13]

稲畑勝太郎(実業家、1934年、大十字)[13]

藤堂高紹(1934年、司令官)[13]

木子七郎(1939年、有星司令官)[14]

稲畑太郎稲畑産業社長、1939年、司令官)[15]


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