聊城市(りょうじょう-し)は中華人民共和国山東省に位置する地級市。使われる方言は冀魯官話石済片。 山東省の西部に位置し、徳州市、済南市、泰安市、河北省、河南省と接する。 1997年8月29日に設立。 2市轄区・1県級市・5県を管轄する。 聊城市の地図 この節の出典[1][2][3]
地理
歴史
行政区画
市轄区:
東昌府区・?平区
県級市:
臨清市
県:
高唐県・陽穀県・?県・東阿県・冠県
東昌府区?平区陽穀県?県東阿県冠県高唐県臨清市
年表
平原省聊城専区
1949年10月1日 - 中華人民共和国平原省聊城専区が成立。聊城県・堂邑県
1949年10月29日 - 斉禹県・河西県が山東省渤海行政区?北専区に編入。(11県1区)
1950年 - 聊城城関区が聊城県に編入。(11県)
1952年10月24日 - 河北省邯鄲専区臨清県・館陶県・臨清鎮を編入。(13県1鎮)
1952年11月15日 - 平原省の分割により、山東省聊城専区となる。
山東省聊城地区
1952年11月15日 - 平原省の分割により、平原省聊城専区が山東省聊城専区となる。(17県1鎮)
平原省濮陽専区濮県・范県・朝城県・観城県を編入。
1953年7月2日 - 観城県・朝城県が合併し、観朝県が発足。(16県1鎮)
1954年8月7日 - 臨清鎮が市制施行し、臨清市となる。(1市16県)
1956年2月24日 - 徳州専区徳州市・夏津県・武城県・徳県・平原県・禹城県・恩県・斉河県を編入。(2市23県)
1956年3月6日 (2市17県)
濮県が范県に編入。
博平県が?平県に編入。
恵民専区徳平県の一部が徳県に編入。
恩県が平原県・武城県・夏津県に分割編入。
観朝県が范県・?県・寿張県に分割編入。
堂邑県が聊城県・冠県に分割編入。
清平県が高唐県・臨清県に分割編入。
范県の一部が寿張県に編入。
1956年5月 - 泰安専区長清県の一部が斉河県に編入。(2市17県)
1958年4月18日 (2市17県)
臨清県の一部が館陶県に編入。
斉河県の一部が泰安専区歴城県に編入。
1958年11月 (2市24県)
泰安専区東平県・平陰県・肥城県、恵民専区商河県・臨邑県・楽陵県・済陽県を編入。
平原県の一部が徳州市に編入。
1958年12月20日 (3市12県)
聊城県が市制施行し、聊城市となる。
?県が冠県・范県に分割編入。
館陶県が冠県に編入。
臨清県が臨清市に編入。
陽穀県が寿張県に編入。
東阿県が寿張県・?平県に分割編入。
禹城県が高唐県・斉河県に分割編入。
徳県が徳州市・平原県に分割編入。
楽陵県が商河県に編入。
済陽県が臨邑県に編入。
平陰県が東平県に編入。
武城県が夏津県に編入。
1960年1月4日 - 商河県が楽陵県に改称。(3市12県)
1960年3月28日 (3市11県)
東平県の一部が分立し、済南市平陰県となる。
東平県の残部が済寧専区?上県に編入。
済南市長清県の一部が肥城県に編入。
1960年4月2日 (3市8県)
肥城県が済南市に編入。
楽陵県・臨邑県が?博専区に編入。
1961年9月28日 - 徳州市・斉河県・平原県・夏津県が徳州専区に編入。(2市5県)
1961年10月5日 (2市9県)
高唐県の一部が分立し、徳州専区禹城県となる。
范県・冠県の各一部が合併し、?県が発足。
冠県の一部が分立し、館陶県が発足。
寿張県の一部が分立し、陽穀県が発足。
?平県・寿張県の各一部が合併し、東阿県が発足。
1963年3月16日 (11県)
聊城市が県制施行し、聊城県となる。
臨清市が県制施行し、臨清県となる。
1964年2月29日 (10県)
范県の一部が?県に編入。
范県が河南省安陽専区に編入。
寿張県の一部が河南省安陽専区范県に編入。
1964年6月16日 (10県)
?県の一部(前任屯村・後任屯村)が河南省安陽専区南楽県に編入。
河南省安陽専区南楽県の一部(楊寨村・東節村・寨節村)が?県に編入。
1964年10月31日 - 寿張県が陽穀県、河南省安陽専区范県に分割編入。(9県)
1965年3月12日 (8県)
館陶県の一部が臨清県・冠県に分割編入。
館陶県が河北省邯鄲専区に編入。
臨清県の一部が分立し、河北省?台専区臨西県となる。
1967年2月 - 聊城専区が聊城地区に改称。(8県)
1983年8月30日 (2市6県)
聊城県が市制施行し、聊城市となる。
臨清県が市制施行し、臨清市となる。
1997年8月29日 - 聊城地区が地級市の聊城市に昇格。
聊城市
1997年8月29日 - 聊城地区が地級市の聊城市に昇格。(1区1市6県)
聊城市が区制施行し、東昌府区となる。
2019年6月27日 - ?平県が区制施行し、?平区となる。(2区1市5県)