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耳嚢(みみぶくろ)は、江戸時代中期から後期にかけての旗本・南町奉行の根岸鎮衛が、佐渡奉行時代(1784-87)に筆を起こし、死の前年の文化11年(1814)まで、約30年にわたって書きためた全10巻の雑話集。公務の暇に書きとめた来訪者や古老の興味深い話を編集したもので、さまざまな怪談奇譚や武士や庶民の逸事などが多数収録されている[1]。耳袋とも表記される。
概要[ソースを編集]
奇談・雑話の聞書の集録で、話者には姓名または姓を記した者が約120名、ある人の話としたものや、又聞きの話も収められている。その他、著名な高級旗本、同僚、下僚、医師、剣術者の名が見られる。収録された話の内容は、そのほとんどが奇異談・巷説だが、虚偽の噂話や先行する小説の内容を事実談として収めるものもある。文章は文学的表現というには粗く、当時の社会相を知る資料としては虚構が多いが、当時の幅広い階層の人々が享受した巷説を知ることができる作品とされる [2] 。
『耳嚢』の諸本は、二巻本・三巻本・五巻本・六巻本・八巻本などがあるが、五巻本を二分して10冊としたり、貸本屋側で冊数を細分化したりした本が見られる。なかでも、カリフォルニア大学バークレー校所蔵の旧三井文庫本は、現在唯一知られる十巻完備本として貴重とされる[2] [3]。
著者はこの書の流布することを嫌い、読みたいと望む人のために同家に近しい者などが無断で、急ぎ筆写したために何種類もの刊本が出回りその間に異同があるとも推測されている[4]。この門外不出の方針は、本書を無断で出版した者があったためにさらに強まる。ただしその出版の時期や犯人の正体[注釈 1]は明らかではない[7]。
明治にも、林若樹『集古随筆 : 四大奇書』に伊勢貞丈、東蘭洲、山東京伝と並んで収載される[8]。
内容[ソースを編集]
書かれた主な人物、事物[ソースを編集]body:not(.skin-minerva) .mw-parser-output .columns-list__wrapper{margin-top:0.3em}body:not(.skin-minerva) .mw-parser-output .columns-list__wrapper>ul,body:not(.skin-minerva) .mw-parser-output .columns-list__wrapper>ol{margin-top:0}body:not(.skin-minerva) .mw-parser-output .columns-list__wrapper--small-font{font-size:90%}
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