老人と海
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老人と海
The Old Man and the Sea
作者
アーネスト・ヘミングウェイ
アメリカ合衆国
言語英語
ジャンル中編小説
発表形態新聞掲載
初出情報
初出『ライフ』1952年9月1日号
挿絵ノエル・シックルズ(英語版)
刊本情報
出版元チャールズ・スクリブナーズ・サンズ
出版年月日1952年9月8日
装画アドリアーナ・イヴァンチッチ(英語版)
受賞
ピューリッツァー賞(1953年)
ノーベル文学賞(1954年)
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『老人と海』(ろうじんとうみ、The Old Man and the Sea)は、20世紀アメリカの作家アーネスト・ヘミングウェイによる中編小説[1][2]。出版は1952年で、ヘミングウェイの生前に刊行されてベストセラーとなった最後の作品である[3][4]。この作品により、ヘミングウェイは1953年にピューリッツァー賞、1954年にはノーベル文学賞を受賞した[3][5]

巨大な魚と老漁夫の死闘の物語。誇り高い人間の栄光と悲劇を描いた名作。
物語のプロット

『老人と海』の物語はきわめて単純で、キューバに住む一人の老漁師が84日間もの不漁の後、巨大なカジキを3日間にわたる死闘の末に捕獲するが、その後にサメに襲われ、獲物を食い尽くされてしまうという話である[6][2]。作品のプロットとしては、以下大きく5つの部分に分けることができる[7][8]
前日:プロローグ。キューバのハバナに暮らす老漁師サンチャゴ[注釈 1]は、84日間一匹も魚が獲れない日々が続いていた。老人を慕う少年マノーリンは老人とともに漁に出ていたが、両親の言いつけにより心ならずも別の舟に乗るようになっていた。老人は眠り、好きなライオンの夢を見る[10][11]

第1日:早朝、老人は少年に見送られながら一人小舟を操って海に漕ぎ出す。沖に出た老人は明るくなる前に釣り綱を下ろす。昼ごろに当たりが来て、大物の手応えがあった。老人は綱を背中に回して踏ん張る。しかし、大魚は夜になっても小舟を曳きながら沖に向かって泳いでいく[10][11]

第2日:大魚は小舟を引き続けている。根比べの最中、小鳥に気を取られた老人は、急に深く潜った大魚によって小舟の上に引き倒され、手を傷つけてしまう。綱を支えていた左手が痙攣を起こし、老人を悩ませる。大魚が水面に姿を見せるが、すぐに水中深く潜ってしまう。午後になり、老人の左手の痙攣が収まる。夕暮れ時、別の釣り綱にカジキが食いつき、老人は右手で大綱を支えながら左手で釣り上げる。日が沈むと、老人はしばらくの間まどろみ、イルカの群れや村の自分のベッド、そしてライオンの夢を見る[11][注釈 2]

第3日:大魚が前進を止めて旋回を始める。老人は綱をたぐるが、疲労で気を失いかける。3度目の旋回から大魚が水面に浮かび上がる。老人は意識もうろうとなりながらも、力を振り絞って大魚にを打ち込む。大魚は一度跳ね上がって水中に潜り、やがて腹を見せて浮かび上がる。老人は仕留めた大魚を舷側に結びつけて帰路につく。しかし、大魚の血の匂いを嗅ぎつけたサメが次々に襲撃してくる。老人は必死に防ぐが、格闘のうちに銛を取られ、オールに結びつけたナイフも失う。夕暮れが迫る。老人はサメを舵棒で打ちまくるが、大魚のほとんどを食いちぎられてしまう。真夜中過ぎに老人は港にたどり着く。やっとの思いで這い上がり、小屋にたどり着くと、ベッドにうつ伏せになって眠りに落ちる[11]

第4日:エピローグ。朝、少年が小屋をのぞくと老人は眠り込んでいた。老人の両手の傷を見て、少年は泣き出す。港では、漁師たちが老人の小舟のまわりに集まって、骨ばかりになっていた大魚の長さを測っていた。少年はコーヒーを老人のところへ運ぶ。目を覚ました老人はコーヒーを飲みながら、少年とまた一緒に釣りに行くことを約束する。少年に見守られながら老人はまた眠り、好きなライオンの夢を見る[11]

執筆の経過
前作の不評

ヘミングウェイは1940年に『誰がために鐘は鳴る』を出版して以来、1950年9月に『河を渡って木立の中へ(英語版)』を出版するまで、10年間にわたって沈黙していた。実はこの間、『エデンの園』や『海流のなかの島々』を断続的に執筆しており、これらはヘミングウェイの死後に出版された[12]。『老人と海』の前作となった『河を渡って木立の中へ』の執筆は1949年4月で、妻メアリーを伴ってイタリア旅行中、アドリアーナ・イヴァンチッチ(英語版)という18歳の貴族の娘と出会ったことが直接のきっかけとなった[注釈 3]。ヘミングウェイはこの作品に手応えを感じており、売れ行きもよく、『ニューヨーク・タイムズ』のベストセラー・リストに21週間掲載されたほどだった[14]。しかし、作品への批評は厳しいものが多く、駄作で魅力に欠け、スタイルも構成も弛緩していてヘミングウェイはもう駄目になった、と今後の作家活動を疑問視するものまであった。このような酷評に、ヘミングウェイは深い気鬱に陥った[14][15]
着手『老人と海』が書かれたキューバのヘミングウェイの家フィンカ・ビヒア(英語版)[注釈 4]

『河を渡って木立の中へ』出版から2ヶ月後の1950年10月末、アドリアーナが母親とともにキューバのヘミングウェイを訪問した。彼女らは翌年2月初旬まで滞在し、ヘミングウェイは彼女らを持ち船「ピラール号」に乗せてカリブ海周辺の島々を案内した。アドリアーナはキューバでの滞在について、次のように回想している。私は活気に溢れ、熱意がみなぎっていたので、それを彼に注ぎ込んだのだ。彼は再び書き始めたが、思いもよらず何もかもうまくいくように思えた。彼は書き終えると、別の著作に―私に言わせれば―遥かに優れた著作に取りかかった。彼は、いまや再び、しかも上手に書くことができた。それで彼は私に感謝した[17]

この回想に基づけば、ヘミングウェイはこの年のクリスマス・イヴに『海流のなかの島々』を書き上げ、さらに年内か遅くとも翌1951年1月早々には『老人と海』に着手したことになる。『海流のなかの島々』を編集したカーロス・ベイカーによれば、『老人と海』は『海流のなかの島々』とともに「海」の四部作として構想の一つに入っていたものが切り離されたものである[17]。ヘミングウェイは従軍記者をしていたころに、第二次世界大戦に関する「陸・海・空」の物語を構想しており、『老人と海』はそのうちの「海」の第4部に相当していた[18][19][12]

ヘミングウェイが『老人と海』の草稿を書き終えたのは、1951年2月中旬だった。執筆期間はおよそ2ヶ月足らずと見られる[20][21]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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