翼軍
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翼軍
会社名不明(解散時)
創設1936年
解散1940年
所属リーグ
日本野球連盟
歴代チーム名



東京セネタース(1936年1月15日 - 1940年10月16日)

翼軍(1940年10月17日 - 1941年2月3日)

名古屋金鯱軍と対等合併し、大洋軍を結成(1941年2月3日)


本拠地



上井草球場東京府東京市杉並区[1])(解散時)

収容人員29,500人(上井草球場)
永久欠番
なし
獲得タイトル
成績(タイトル以外)
球団組織
オーナー有馬頼寧(解散時)
運営母体西武鉄道(旧社)(解散時)
監督苅田久徳(解散時)
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翼軍(つばさぐん)は、1936年から1940年まで5年間活動した日本プロ野球球団。

戦後新たに生まれたセネタース(現:北海道日本ハムファイターズ)は翼軍とは直接の系譜はないものの、翼軍出身者がセネタースの創立に関与した。
球団の歴史

1936年1月15日[2]日本職業野球連盟結成の中心にいた正力松太郎は、自らオーナーとなった東京巨人軍に対する「首都圏におけるライバル球団」が必要と考えて政治家有馬頼寧を頼み、それを受け現在の西武新宿線を経営していた西武鉄道(旧社)の後援により東京セネタース(とうきょうセネタース、Tokio Senators、会社名東京野球協会TOKIO BASEBALL ASSOCIATION)として設立された。

セネター (Senator) とはアメリカ合衆国上院議員を意味する。当時オーナーの有馬は貴族院議員であり、球団社長も有馬の実弟で同じく貴族院議員の安藤信昭が就任した。このことから貴族院が実質的な上院、ということでメジャーリーグベースボールのワシントン・セネタース(現:ミネソタ・ツインズ)に倣ってこの名称が付いたとされる。語呂合わせから、青踏軍とも称された[3]

本拠地は東京府東京市杉並区[1]にあった上井草球場。当時の顔ぶれは球団の監督を務めた横沢三郎四郎七郎兄弟や苅田久徳野口明らだった。

1940年10月17日、戦争の影響で球団名は全て日本語に改めるように指示が出されたため、やむなく翼軍と改名。この名称は有馬が大政翼賛会の理事をしていた事に因む[4]。球団名を「東京翼軍」とした資料も存在する。

1941年2月3日、名古屋金鯱軍と対等合併して「大洋軍」を結成[5]1943年西日本鉄道に経営が移譲され「西鉄軍」に改称。九州に移駐したものの、戦時下における経営・運営難に悩み、この年限りで解散した。なお、名古屋金鯱軍は中日新聞社の前身企業の一つである名古屋新聞社が経営に携わっていた球団だが、現在の中日ドラゴンズとは無関係。また、大洋軍も現在の横浜DeNAベイスターズの前身にあたる大洋ホエールズとは無関係。西鉄軍も後年の西鉄ライオンズ(発足時は西鉄クリッパース)とは直接の関係はない。

戦後の1946年にプロ野球が再開されると、戦前の東京セネタースの主軸を成した横沢兄弟が中心となって改めてセネタースが新球団として結成された。しかし、経済的な理由から翌年には東急フライヤーズとなり、セネタースの名称は消滅した。その後数度の身売り・改称・移転を経て、現在は北海道日本ハムファイターズとして存続している。

2013年7月26日から28日にかけ、埼玉西武ライオンズ主催試合でのイベント『ライオンズ・クラシック2013』にて、西武鉄道沿線を本拠地とし、かつ源流企業の一つが経営に関与したチームということで、西武の選手たちが復刻されたセネタースのユニフォームを着用して試合に出場した。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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