翁家さん馬
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翁家 さん馬(おきなや さんば)は、落語家名跡。かつては翁屋 さん馬と表記されていた。10代目(一部では11代目とも)の死後は空き名跡である。代々に数えられていないさん馬も何人か存在する。以下年代順に列記する。
目次

1 初代

2 代外

3 2代目

4 3代目

5 4代目

6 代外(7代目?)

7 5代目

8 6代目

9 7代目

10 8代目

11 9代目

12 10代目

12.1 略歴

12.2 外部リンク


13 出典

初代

翁屋 さん馬 - 後の2代目三笑亭可楽。「中橋の可楽」。
代外

翁屋 さん馬 - 後の
3代目三笑亭可楽。2代目の可楽の養子の方。通称「武正可楽」。本名は原 金兵衛。

2代目(3代目)翁屋 さん馬 - 『落語家奇奴部類』(弘化5年)に「三田住 翁屋さん鳥後ニ二代目さん馬ト成リ又扇馬成ル」とあり、『昔噺連中』(弘化3年)に「さん蝶改 翁屋扇馬」と見える。改名順は初代翁屋さん馬(後の2代目三笑亭可楽「中橋の可楽」。)の門下でさん蝶(またはさん鳥、三寿とも)、弘化3年にさん蝶改め2代目翁屋 扇馬(亭号は花翁亭、花扇亭とも)となった。一説には3代目(または2代目)さん馬を経て2代目鶴遊亭東里を名乗ったという。本名は池田 忠治郎。江戸の生まれ。

この2人は代数から省かれている。
2代目

翁屋 さん馬 - 後の4代目三笑亭可楽。俗に「爆弾可楽」。本名は榊原 鎌三郎。
3代目

翁屋 さん馬 - 後の3代目三笑亭可楽。

なお2代目と3代目は順序が定かではない。
4代目

4代目 翁屋 さん馬(おきなや さんば)
本名野口 金次郎
生年月日
不詳年
没年月日1873年2月3日
出身地 日本
師匠4代目桂文治
代目三笑亭可楽
名跡1. 桂文七
2. 4代目翁屋さん馬
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4代目翁屋 さん馬(生年月日不詳 - 1873年2月3日)は、落語家。本名は野口 金次郎。通称「文七さん馬」。

家系は徳川家直々仕えた武士であった。最初は4代目桂文治の門で文七、安政4、5年ころ、4代目三笑亭可楽「爆弾の可楽」の門下でさん馬を継ぐ。俗に「文七さん馬」といわれる。5代目三升家小勝橘家林喬の最初の師匠である。
代外(7代目?)

翁屋 さん馬(生年月日不詳 - 1879年)は、落語家。姓は原。

1929年発行の月亭春松『落語系圖』には「七代目さん馬」の項に「三代目可楽の実子なり。初め三笑亭いろはと云ふ後に三代目小三馬となり、又三笑亭虎渓となり又武正となり其後七代目さん馬となる。」とある

また1880年の番付にはこのさん馬と同一人物と考えられるさん馬が記載されている。その他にも1879年の番付にはこのさん馬と5代目さん馬(本名:桂正吉)の2人のさん馬が記載されている。
5代目

5代目 翁屋 さん馬(おきなや さんば)
本名桂 正吉
生年月日
1847年4月
没年月日1914年10月29日
出身地 日本
師匠都川歌丸
名跡1. 都川文吉(? - 1873年)
2. 5代目翁家さん馬(1873年 - 1905年)
活動期間? - 1905年
家族都川歌丸(叔父)
江戸4代目桂文治(伯父)
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5代目翁家 さん馬(弘化4年(1847年)4月 - 大正3年(1914年10月29日)は、落語家。本名は桂 正吉。通称「大阪のさん馬」。

東京の生まれ、叔父は音曲師の都川歌丸、父は江戸4代目桂文治の実弟で、三田で大工の頭領をしていた大和屋政吉という。幼名を正之助といい、後に桂正吉と変えた。

最初は叔父の門下で文吉を名乗り、1873年5月、27歳の時に日本橋木原店の井上亭で5代目さん馬を襲名した。滑稽の色を付けた人情噺で売り出した。

1874年の春に、静岡浜松岡崎を経て名古屋富本亭に赴き、3年間真打を務めた。1877年2月には京都で活動した。京都では贔屓客が多く寄席まで建てられた。この寄席はさん馬が大酒呑みだったことから、呑楽亭と名付けた。1880年4月には大阪に出て桂派に属し順慶町の井戸辻の寄席で人情噺を演じた。1905年12月に引退。

得意ネタは『祐天小僧吉之助』『文七元結』『二人伊之助』『左甚五郎』『お花半七』『南瓜屋政談』など。

新聞紙上や各種雑誌に速記を残している。
6代目

後の6代目三笑亭可楽。本名は中村 勘三郎。
7代目

後の8代目桂文治。本名は山路 梅吉。
8代目

8代目 翁家 さん馬(おきなや さんば)
本名菅谷 徳之助
生年月日
1888年12月14日
没年月日 (1973-04-15) 1973年4月15日(84歳没)
出身地 日本
師匠4代目柳亭左楽
6代目雷門助六
名跡1. 柳亭一楽(? - 1912年)
2. 雷門歌之助(1912年 - ?)
3. 5代目都家歌六(? - 1920年)
4. 都家栄楽(1920年 - 1922年)
5. 雷門雷蔵(1922年 - 1924年)
6. 2代目春雨家雷蔵(1924年)
7. 8代目翁家さん馬(1924年 - 1973年)
活動期間? - 1973年
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8代目翁家 さん馬(1888年12月14日 - 1973年4月15日)は、落語家。本名は菅谷 徳之助。通称「小樽のさん馬」。

明治40年代初め4代目柳亭左楽の門下で一楽、1912年ころ都家歌六(後の6代目雷門助六)の門下で歌之助、その後5代目都家歌六と改名(上方での改名だという)。1920年4月に栄楽、1922年10月に雷門雷蔵1924年3月に2代目春雨家雷蔵で真打昇進、1924年5月に8代目さん馬を襲名。

放浪癖があり満州朝鮮台湾を足を伸ばし、1929年頃に入ってからは小樽幇間に転じた。そのためか「小樽のさん馬」といわれている。同地でメディアにも出演経験がある。戦後は東京で末廣亭の支配人を長く勤めた。噺は音曲が主でネタの数は多かったという。SPレコードも存在する。1973年4月15日死去。84歳没。
9代目

後の9代目桂文治。本名は高安 留吉。
10代目

10代目 翁家 さん馬(おきなや さんば)
本名高安 清(たかやす きよし)
生年月日
1941年4月27日
没年月日 (2008-12-19) 2008年12月19日(67歳没)
出身地 日本群馬県太田市
師匠9代目桂文治
名跡1. 桂文太(1962年 - 1966年)
2. 桂文七(1966年 - 1979年)
3. 10代目翁家さん馬(1979年 - 2008年)
出囃子舌出し三番叟
活動期間1962年 - 2008年
家族9代目桂文治(養父)
所属落語協会
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10代目翁家 さん馬(1941年4月27日 - 2008年12月19日)は、群馬県太田市出身の落語家。生前は落語協会に所属していた。本名、高安 清(たかやす きよし、旧姓:竹内)。出囃子は『舌出し三番叟』。養父は師匠9代目桂文治。実家はガソリンスタンドを営んでいた。

前座のころ、住んでいたアパートに漫才の正三・奈良江や、4代目古今亭志ん好が住んでいた。

得意の南京玉すだれを使った芸を披露することも多かったと言う。
略歴

1962年3月 - 9代目桂文治に入門。前座名は文太

1966年3月 - 二つ目昇進で由緒ある文七に改名。

1979年2月 - 真打昇進し、10代目(11代目とも)翁家さん馬を襲名。

2008年12月 - 腎臓のため死去。67歳没。

外部リンク

翁家さん馬 - 落語協会(こちらは11代目と記載されている。)

出典

諸芸懇話会、大阪芸能懇話会共編『古今東西落語家事典』
平凡社ISBN 458212612X

古今東西噺家紳士録


更新日時:2018年7月8日(日)06:44
取得日時:2019/01/22 02:40


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