羽沢
町丁
武蔵野音楽大学(2010年10月)
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.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度44分27.1秒 東経139度40分13.14秒 / 北緯35.740861度 東経139.6703167度 / 35.740861; 139.6703167
国 日本
都道府県 東京都
特別区 練馬区
面積[1]
? 合計0.465 km2
人口(2017年(平成29年)12月1日現在)[2]
? 合計6,378人
? 密度14,000人/km2
等時帯UTC+9 (日本標準時)
郵便番号176-0003[3]
市外局番03[4]
ナンバープレート練馬
石神井川の桜、羽根木橋付近(2010年4月)
羽沢(はざわ)は、東京都練馬区の町名。現行行政地名は羽沢一丁目から羽沢三丁目。郵便番号は176-0003[3]。旧名は羽根澤(はねさわ)。
地理羽沢の航空写真。1979年11月14日撮影。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成羽沢三丁目の農地。
東京都練馬区の東端部に位置し、町域の東辺の一部をもって練馬区 - 板橋区境を形成する。北部を石神井川をはさんで氷川台と、南部を栄町、東部を小竹町・板橋区小茂根、西部を桜台と接する。南から順に一から三丁目がある。
南北約1.6km、東西約0.2 - 0.4kmと南北に長い形で、また一丁目と二丁目の間が東京都道318号環状七号線(環七通り)で分断されているため、羽沢地域としての一体感は薄い。一丁目は江古田駅側の地域、三丁目は氷川台側の地域として捉えられることが多いようである。
羽沢一・二丁目は、大半が用途地域の中で最も厳しい規制である第一種低層住居専用地域(高さ制限10m)であるため、戸建て住宅やアパートが主体の閑静な住宅地となっており、店舗等はほとんどない。羽沢三丁目は、主に第一種中高層住居専用地域と準工業地域であり、中規模のマンションと小規模の工場とが並ぶ。[5]二・三丁目の一部には農地が残っておりキャベツなどの野菜を生産している。
かつては台地部分を畑、石神井川と下練馬村分水の流れる低地を水田とする農村であったが、学校の創設(旧制武蔵高等学校(武蔵大学、武蔵中学校・高等学校の前身 1922年創立)、武蔵野音楽学校(武蔵野音楽大学の前身 1929年創立)や武蔵野鉄道(西武池袋線の前身)江古田駅の開業(1922年)により、昭和初期に江古田駅に近い羽沢一丁目から住宅地へと移行した。 東京都小平市から西東京市、練馬区、板橋区、北区を経て隅田川に合流する一級河川。羽沢の北縁を形成している。城北中央公園部分では「かつての石神井川と川沿いの風景をしのばせる大規模公園」をテーマに、親水性を高めた整備計画がある。[6] 川沿いの道には、1934年(昭和9年)、皇太子明仁親王(明仁上皇)の誕生を祝って地元の人たちにより植樹された桜の樹が並ぶ(現在の桜の樹は石神井川の改修工事後に植替えられたもの)。氷川台駅近くの正久保橋たもとに植樹の経緯を刻んだ記念碑がある。 羽沢と桜台の境界となっている路地は、両側が傾斜地で谷底になっている。これはかつての水路の跡であり、羽沢の地名の由来とも考えられている(下記の「地名の由来」を参照のこと)。 湧水池が羽沢二丁目にあり(羽沢2-1-13)、そこからの水と千川上水から引いた水とを合わせて、下練馬村分水(羽沢分水とも)としていた。下練馬村分水は、桜台陸橋付近(桜台1-1あたり)を分水口とし、桜台と羽沢の境界にほぼ沿う形で北に向かって流れ、羽沢三丁目の羽根沢橋付近で石神井川に注いでいた。水路は1960年代中頃まで残っていたが、現在は暗渠となっている[7][8][9]。 また、羽沢二丁目にあった湧水池も、水難事故防止のために新桜台駅の開業(1983年)にあわせて覆われた[10]。 面積[1]、人口と世帯数[2]、事業所数[11]、工場数[12]、および農地面積[13]は以下の通りである。 丁目面積人口世帯数人口密度事業所数工場数農地面積 区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[14]。 丁目番地小学校中学校 鶴がたくさん飛んできて羽を落としていったのが地名の起こりだという伝承がある。 埴沢(はにさわ)から羽根沢への転化とする説もある。埴とは埴輪を作る埴土(はにつち)、粘土のことであり、埴沢は粘土質の沢の意である。石神井川から南へ深く入り込む谷合い(上記の「下練馬村分水」を参照のこと)は埴土の豊富な谷・沢であっただろうと練馬の郷土史研究家は考察している[15]。
河川
石神井川
下練馬村分水
面積、人口、および利用状況
羽沢一丁目0.071km21,331人895世帯18476.5人/km22410.000ha
羽沢二丁目0.229km23,314人1,854世帯14408.7人/km26120.935ha
羽沢三丁目0.165km21,733人904世帯10503.0人/km271140.325ha
計0.465km26,378人3,653世帯13686.7人/km2156171.260ha
小・中学校の学区
羽沢一丁目全域練馬区立開進第四小学校練馬区立開進第四中学校
羽沢二丁目全域
羽沢三丁目全域
歴史
地名の由来
地名の変遷
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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