羽林(うりん)は、前漢に設立された皇帝直属の部隊名で、明代まで置かれた。 前漢の武帝の太初元年に光禄勲の下に「建章営騎」が設立されたことに始まる。皇帝に従うことを職とした。後に「羽林騎」と改称された。 羽林には令、丞が置かれたが、宣帝は中郎将(秩比二千石)と騎都尉(秩比二千石)に羽林を監督させた。 また従軍して戦死した者の子を引き取って羽林で養い、武器の使い方を教え、これを「羽林孤児」と称した。 後漢においても光禄勲に属し、羽林中郎将(秩比二千石)が宿衛侍従を職とする羽林郎(秩比三百石)を司った。羽林郎は漢陽(天水)、隴西、安定、北地、上郡、西河の六郡の人間から選抜された。 また中郎将とは別に羽林左監と羽林右監(各秩比六百石)がおり、それぞれ羽林左騎、羽林右騎を司った。
概要
参考文献
班固著『漢書』巻19上百官公卿表上
司馬彪著『続漢書』(『後漢書』合刻)百官志二
関連項目
近衛府 - 唐名を「羽林」とする。また、近衛大将を羽林大将軍、近衛中将を羽林将軍と呼ぶが、これを略して「羽林」と称することもある。 (用例):『吾妻鏡』正治元年四月十二日条「十二日癸酉。諸訴論事、羽林直令决断給之條、可令停止之。(訓読;十二日癸酉、諸訴論のこと、羽林直に决断令め給ふ之條、之を停止令む可し)」
建久10年(1199年)正月13日源頼朝の急逝により、同月20日には源頼家は近衛左中将(羽林将軍)に任じられているが、同年4月に頼家(羽林)の独裁を停止した旨の記事。
羽林家 - 近衛府の少将・中将を任ずる家柄から。
羽林軍 (星官)