羽前国(うぜんのくに)は、東北戦争終結直後に出羽国を分割し制定された、日本の地方区分の国の一つ。東山道に位置する。別称は羽後国とあわせて、または単独で羽州(うしゅう)。領域は現在の山形県のうち、飽海郡と酒田市北部(最上川以北)を除いた大部分にあたる。
目次
1 沿革
2 地域
2.1 郡
2.2 人口
3 脚注
4 参考文献
5 関連項目
沿革
「旧高旧領取調帳」の記載によると、明治初年時点での、出羽国のうち後の羽前国内の支配は以下の通り(1,247村・946,578石余)。太字は当該郡内に藩庁が所在。国名のあるものは飛地領。
村山郡(458村・365,165石余) - 幕府領、旗本領、山形藩、上山藩、天童藩、新庄藩、長瀞藩、羽後松山藩、蝦夷館藩、陸奥棚倉藩、上野館林藩、常陸土浦藩、下総佐倉藩
最上郡(86村・84,250石余) - 新庄藩
置賜郡(294村・336,868石余) - 米沢藩
田川郡(409村・160,294石余) - 鶴岡藩、羽後松山藩
慶応2年6月19日(1866年7月30日) - 棚倉藩が武蔵川越藩に転封。棚倉藩には陸奥白河藩が転封。
慶応4年
2月1日(1868年2月23日) - 棚倉藩が白河藩に転封(実行されず)。
9月29日(1868年11月13日) - 戊辰戦争後の処分により、幕府領・鶴岡藩領が酒田民政局の管轄となる。
明治元年
12月7日(1869年1月19日) - 出羽国が分割され、上記4郡が羽前国の所属となる。
12月15日(1869年1月27日) - 鶴岡藩・松山藩が減封。鶴岡藩は会津藩に転封(実行されず)。
12月18日(1869年1月30日) - 戊辰戦争後の処分により天童藩が減封。領地の一部が酒田民政局の管轄となる[1]。
12月22日(1869年2月3日) - 戊辰戦争後の処分により上山藩が減封。領地の一部が酒田民政局の管轄となる。
12月24日(1869年2月5日) - 白河藩が棚倉藩に転封(現状に即した形となる)。このときの減封により国内の領地が酒田民政局の管轄となる。
明治2年
6月22日(1869年7月30日)
鶴岡藩が磐城平藩に転封(実行されず)。
松山藩が改称して松嶺藩となる。
7月25日(1869年9月1日) - 鶴岡藩が鶴岡に復帰。
7月26日(1869年9月2日) - 酒田民政局の管轄区域に酒田県(第1次)が発足。
9月13日(1869年10月17日) - 鶴岡藩が改称して大泉藩となる。
11月11日(1869年12月13日) - 長瀞藩が藩庁を移転して上総大網藩となり、それにともなう領地替えで国内の領地が酒田県(第1次)の管轄となる。
明治3年
田川郡勝浦村・浦村・法木村(いずれも飛島)の所属が羽後国飽海郡に変更。酒田県(第1次)の管轄となる[2]。
7月17日(1870年8月13日) - 山形藩が近江朝日山藩に転封。国内の領地が酒田県(第1次)の管轄となる。
9月28日(1870年10月17日) - 酒田県(第1次)が県庁移転・改称して山形県となり、館藩・館林藩・土浦藩・佐倉藩の領地も管轄[3]。
明治4年
7月14日(1871年8月19日) - 廃藩置県により藩領が大泉県、松嶺県、上山県、天童県、新庄県、米沢県となる。