義足
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義手でテーブル・フットボールをプレーする米国陸軍の軍人

義肢(ぎし)とは、平たく言えば「人工の手足」のことであり、患者が失った四肢の外見や機能を補うために使う器具を指す[1]

上肢に用いる義肢を「義手」、下肢に用いる義肢を「義足」と呼ぶ[2]

義肢は古くから存在したが、そのありようが大きく進歩したのは第一次世界大戦以降である。

歴史
紀元前古代エジプトで使用されていたと考えられている木製の義指

義肢の歴史は古く、紀元前から四肢を失った人のために作られていた。

義肢の登場する最も古い記録は “Rig Veda” の中でVi?pal?という女性が金属製(Ralph T. H. Griffith(英語版)によれば鉄製)の下腿義足を用いた、という記述であるとされている[3][4]

一方、現在発見されている世界最古の義肢は、エジプト・テーベの墓地遺跡で発見された右母趾用の木製の義足である。これは紀元前950年 - 710年に生存していたTabaketenmutという祭司の娘のものである。欠損部位を補うための単なるアクセサリーではなく、体重をかけて移動できるように設計されている[5][6]

ほかには、1858年にイタリアカプアの古墳から発掘された下腿義足(通称:Capua Leg (英語版))がある。これは木と銅から作られていた。時期は紀元前300年頃、Samnium戦争の頃である。この義足の現物はイギリス・ロンドンのイングランド王立外科医師会に保存されていたが、第二次世界大戦の空襲で焼失し、現在はレプリカが同じくロンドンのサイエンス・ミュージアムに保存されている。
中世時代ゲッツが使用した鋼鉄の義手、ホルンベルク城に現存しており、詳細な図面が残っている

1500年ごろのヨーロッパでは戦争で手足を失うことが多かったが、義手や義足を使用して騎士や軍人を続けた人物が多数居た。ヨーロッパでは代表的な人物として鉄腕ゲッツの異名をとったゲッツ・フォン・ベルリヒンゲンが居る。ゲッツの自伝には義足の騎士も登場しており、義肢を使用していた騎士はかなりいたと思われる。

ゲッツの使用していた義手は高度なギミックが組み込まれていて、剣や槍を握って戦うことが出来たと自伝に記されている。実際にヨーロッパでは手足をなくした傷痍軍人にとってゲッツの話に元気付けられることは多く、ゲーテの戯曲としても有名であることから四肢切断者へのケアとして現在でも引き合いに出される。

なお、当時は義肢と医学との関連は薄く、同時代の著名な医学書にも義肢についての記述は見受けられない。日本でも義肢に関する史料はほとんど無いが、最古の物として、1818年以前の物と考えられる義足が残っている。日本で記録に残っている最古の義肢の使用者は、歌舞伎役者の三代目澤村田之助である。彼は四肢を切断するも、アメリカ製の義肢を用いて舞台に立ち続けた[7]
近代

19世紀以降は、無煙火薬の発明による銃弾の高速化、地雷の普及によって手足を失う傷痍軍人が急増した。しかし、航空機(飛行兵)などの乗物を操る兵種においては、交戦中の負傷で隻腕・隻脚となっても義肢を装着して戦列に復帰する例が複数見られた。第二次世界大戦では、大日本帝国陸軍檜與平ドイツ第三帝国ハンス・ウルリッヒ・ルーデル及びハンス・シュウィルブラット(英語版)、大英帝国ダグラス・バーダーらが、義足で航空機に乗り戦い続けた義足のエースとして著名である。

こうした飛行兵の中でも、アメリカ合衆国のバート・シェパード(英語版)は、1945年ベルリン攻防戦の折に撃墜され右足を失うも、ドイツ降伏後に帰国した同年中に大リーグワシントン・セネタース投手として復帰した義足の大リーガーとしての事績で知られており、同年に隻腕の野手としてセントルイス・ブラウンズでプレーしたピート・グレイ共々、第二次世界大戦で傷痍軍人となった多くの人々に勇気を与えた。日本では、名古屋軍西村進一が、従軍により隻腕となり現役続行を断念するも、1948年より京都平安高校の監督に転身し、1951年第33回全国高等学校野球選手権大会で同校を全国優勝に導き、その後も隻腕の監督としてアマチュア野球界で長く活躍した記録が残る。
現在WorkNCCAMを使用して開発された人工膝関節最新技術を使用して、健常者の指と変わらない見た目を持つ義指
外装
ゴムシリコーンを用いて、本物の肉体に近い仕上がりとする技術がある。労働災害などで失った指や、乳癌で切除した乳房の代わりの人工乳房など、欠損部位の外観再現を積極的に行うものはエピテーゼとよばれる。
足部
歩くためではなく、走ったり跳んだりといった高負荷活動を目的とした部品が存在する。装着者と義肢装具士の共同作業によって完成されたスポーツ用義肢が数多く登場してきており、パラリンピックなどのスポーツイベントでも数多くみることができる。健常者に肉薄する成績をもつ選手もいる。詳しくはオスカー・ピストリウスの項を参照。近年は球技では陸上競技ほど著名な義足選手は登場していないが、日本では2003年第85回全国高等学校野球選手権大会愛媛今治西高より左足義足の曽我健太が出場、義足の高校球児として話題を呼んだ[8]

そのほか、筋電義手、コンピュータ制御膝継手、コンピュータ制御足部、触覚を伝える義肢[9]など、高機能、高性能の義肢パーツが登場してきている。3Dプリンターの登場により、オーダーメイドの義肢が低コストで制作されるようにもなった[10]
義肢の機能

部品としての機能はもちろん、装着感や重量にも注意が払われる。たとえば欠損率の大きい四肢を補う場合、多機能化で複雑なパーツを使用せず、単純な構造とすることがある。

義足の場合では一般に、膝関節の有無で活動レベルに大きな違いが出る。膝関節が残っていると屈伸運動が可能であるため、脛より下は単純な棒で代用されることもある。この場合では、訓練次第で走ることも可能となる。

しかし、膝関節を喪失している場合、屈伸する機能を膝継手として義足側に持たせなければならず、この膝義足が体重を支えられなければ立つことができない。しかし膝が曲がらなければ歩き難く、走ることは困難である。このように膝機能の有無は義足に求められる機能も決定的に異なり、装着者の生活の質に大きく影響することから、膝上から足を切断する必要があった場合に、切断した足の踵を流用し水平方向に180度反転して膝上大腿に接ぎ膝と同じ機能を持たせた移植手術(ローテーション)が行われた例もある(腫瘍の転移があった場合はできない)。

義手には手の機能の代用として「カギ爪」のようなものも存在するが(ピーター・パンに出てくるフック船長の腕を思い出すとよい)、後腕の筋肉で操作するピンセットのような「物をつまむ」ことが可能な義手や、さらには筋電位測定とマイクロコンピュータを利用して、モーターの力で実際の手のように掴んだり離したりの動作が可能な筋電義手も開発・実用化されている。

最新の物では、直接神経に接続された電極で神経電位を計測、訓練すれば自分の腕のように操作できるタイプも登場しており(スターウォーズのアナキンの腕やルークの腕を思い出せば良い)、これらではコンピュータ制御により、触覚すらあるという[9]


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