『義経千本桜』(よしつねせんぼんざくら、義経先本桜とも)とは、人形浄瑠璃および歌舞伎の演目のひとつ。五段続、延享4年(1747年)11月、大坂竹本座にて初演。二代目竹田出雲・三好松洛
・並木千柳の合作。「大物船矢倉/吉野花矢倉」(だいもつのふなやぐら/よしののはなやぐら)の角書きが付く。通称『千本桜』。源平合戦後の源義経の都落ちをきっかけに、実は生き延びていた平家の武将たちとそれに巻き込まれた者たちの悲劇を描く。『義経千本桜』 四段目の切「河連法眼館」の場。左から三代目嵐三五郎の忠信(源九郎狐)、三代目市川團之助のしづか。文化12年(1815年)3月、江戸市村座。初代歌川豊国画。(大序・院の御所の段)屋島の合戦で平家が滅亡した後のこと。源義経は後白河院の御所に武蔵坊弁慶を連れて参上し、合戦の様子を物語る。義経には院から合戦の恩賞に初音の鼓が下されるが、院の寵臣左大将藤原朝方は、これは義経の兄源頼朝を討てという謎をかけた院宣であるという。困惑した義経は鼓を返上しようとするが、朝方は「綸言汗の如し」という言葉を引き返上を、すなわち頼朝討伐を拒否することを許さない。弁慶は無茶を言う朝方に悪口するが義経に厳しく叱られる。ではこの鼓は打たなければ(討たなければ)よいと、義経はとりあえず初音の鼓を拝領することにした。
(北嵯峨庵室の段)北嵯峨にひとりの尼が住む草庵があったが、そこに平維盛の正室若葉の内侍はわが子六代と共に隠れ住んでいる。内侍は夫維盛はすでにこの世には無いものと思っていた。そこへ菅笠売りに身をやつした主馬の小金吾武里が訪れる。小金吾は維盛のもと家来である。人の噂によれば、維盛は生きていて今は高野山にいるという。内侍は六代を連れ小金吾を供に、高野山へと発つことにした。だが朝方の家来猪熊大之進が手下を率い、内侍と六代を捕らえにきたので、尼は内侍と六代を戸棚の中へすばやく隠す。大之進は尼が怪しいと捕らえるが、そのすきに小金吾は笠の荷の中に内侍と六代を移し、その場を逃れる。