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「美」のその他の用法については「美 (曖昧さ回避)」をご覧ください。

「美しい」はこの項目へ転送されています。ゆらゆら帝国の曲については「美しい (曲)」をご覧ください。
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信頼性について検証が求められています。確認のための情報源が必要です。(2008年11月)


独自研究が含まれているおそれがあります。(2008年11月)


ノートルダム大聖堂バラ窓ゴシック建築では、光は最も美しい神の啓示と考えられており、そのデザインにはその啓示が込められていた。

この記事では美・美しい(び・うつくしい、: καλ?ν カロン、: venustas, bellus、: beaute、: beauty)について解説する。同義として 【麗しい/▽美しい】 (うるわしい)という用語ある[1]
概説
辞書的定義

広辞苑では次のように定義されている。

美しいこと。美しさ。りま。[2]

よいこと。りっぱなこと[2]

そして3番目に哲学用語の「美」を挙げており、次のような説明になっている。

(哲学)知覚・感覚・情感を刺激して内的快感をひきおこすもの[2]。『快』が生理的・個人的・偶然的・主観的であるのに対して、『美』は個人的利害関心から一応解放され、より普遍的・必然的・客観的・社会的である。

ブリタニカ百科事典では、(広辞苑の3番目に挙げてある哲学的説明から入り)、「感覚、特に視聴を媒介として得られる喜悦・快楽の根源的体験のひとつ」としている[3]。そして、続いて次の注意点を指摘している。

対象にみられる均衡・充実・輝きによって惹起される(タイプの美もある)[3]

だが、直接感覚を通さない、いわゆる《精神美》も考えられ、それは「超越美」と呼ばれる[3]

つまり、一方で美には直接の感覚による美があるが、他方、直接感覚に依存せず、精神的に感じられる美もある、と言っているのである。たとえば「彼の一生懸命な生きざまは美しい」「最後まで正義を貫いたこのお方の人生は本当に美しい」などと言うことがある。また「美しいの持ち主」と言うこともある。

これに関連して、今道友信は、『岩波講座哲学 第14』の「美学と芸術理論」において、美は自然の事物等に対する感覚的に素朴な印象から、芸術作品に対して抱く感動感情、あるいは人間の行為の倫理価値に対する評価にいたるまで、さまざまな意味解釈の位相を持っている、と指摘した[4][注 1]
美しいものの具体例

人が例えば何を美しいと言うかというと、自分の祖国や故郷を美しいと言うことがあり、風景を見て美しいということがあり、はたまた美術作品などを見て美しいということもあり、男性は形の整った女性を美しいと言うことがあり、そして女性は形の整った男性を美しいと言うことがあり、数学者は方程式のある種の解法を美しいと述べることがある[5][注 2][注 3]

またモーツァルトフォーレの音楽は、「繊細な美しさを持つ」[6]と言われることがある。

ヘルマン・ヘッセは、作品に『青春は美し』という題をつけた。その意味で、青春も美しいとされることのあるもののひとつと言えよう(ただし、青春は人それぞれで、実に様々な形容詞がつけられている。)
美と芸術の相違

「美」と「芸術」は異なる。『岩波哲学講座 (6)芸術』の「はしがき」を書いた人によると、美しいものは必ずしも芸術ではない[6]」。美しいものすべてが芸術というわけではない。また、逆に芸術作品すべてが美しいというわけでもない。
美と存在論

プラトンは《超越美》(=「精神美」)は実在し、個々の美しいものは、この超越美の分有である、と述べた[3]。(イデア論
美の具体的種類

美を一意に定義することは困難であり、その定義づけが美学という一つの学問として成立するほどである。美の種類、もしくはカテゴリーとして次のようなものがある。

自然美 - 自然の手付かずの美、自然による造形(グランドキャニオンなど)

芸術的な美 - モナリザ、ダヴィデの像、印象派の絵画

造形美 - 建築構造物の美(宮殿、大聖堂、ピラミッド)

機能美 - ハンドクラフト、織部の焼き物、パイプ、ガラス器

美のイメージ

ひとにとって美は、概念的に思考することのできるものであるだけでなく、同時にイメージとしても思い描かれ、それと重ね合わせて想像することもできる。映画:マリリン・モンローブリジット・バルドーダンス:イザドラ・ダンカン絵画:ヴィーナスの誕生モナリザ、裸体のマハ
哲学における美詳細は「美学」を参照

哲学における「美」の概念の概説的な説明は、すでに優れた記述がある。これは、哲学における美に関する思想や理論、つまり広義の「美学」における美の概念の歴史として、一つのまとまりとして考えられる。

美とは、価値観念価値認識の一つである。人類において普遍的に存在する観念であり表象であるが、一方では、文化個人主観枠を越えて、超越的に概念措定しようとするとき、明確に規定困難であり、それ故、美には普遍的な定義はない、とも形容される。しかし、他方では、美は感性的対象把握において、超越論的に人間精神に刻印された普遍概念であるとも解釈できる面を持っており、美の定義は発散するが、美の現象経験世界に遍在してあるという存在事態が成立する。

ここでは、主として古代ギリシアローマ及び西欧哲学の伝統における「美」の本質探求の試みと、認識的概念としての美についての考察の諸位相を素描する。
美という言葉の多様性

哲学における「美」の概念と、それがいかなるものであるかの議論は、その前提として、本記事の冒頭で述べた通り、「美しい」とは何を意味しているのか、「美」という言葉が持つ「意味範囲」のある程度の明確な把握を前提とする。

例えば、日本語で「美」と訳される古典ギリシア語の「カロン」という言葉は、日本語の「美」とは異なる意味範囲を持っており、同様に、ラテン語の「美・美しいこと(pulchrum)」もまた、古典ギリシア語の「カロン」とは、また違う意味範囲を持っている。異なる言語のあいだで、まったく同じ意味内包を持つ言葉はそもそも存在しないのであり、たとえばプラトンが「美」について何かを論じている場合、それは古典ギリシア語の「カロン」について語っているのだという事実は重要である。

「美」に関連した概念として、「」という価値概念が、プラトンによって論じられているが、「徳」に当たる古代ギリシア語「アレテー」は、日本語の「徳」にはない特殊な意味があり、それは英語のvirtueにもまたないものである。


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