この項目では、芸術としての美術について説明しています。
中・高等学校における教科の美術については「美術 (教科)」をご覧ください。
実写のテレビ番組・映画や舞台等のスタッフの美術については「美術 (職業)」をご覧ください。
アニメーションの美術については「背景#背景美術」をご覧ください。
ワルシャワのショパン像
美術(びじゅつ)とは、視覚で捉えることを目的として表現された造形芸術(視覚芸術)の総称[1]。 原始時代の洞窟壁画(ラスコーの壁画など)は呪術的な目的で描かれ、人間、牛の姿を巧みに捉え、日常的な実用性を離れた表現となっており、美術史の始めのページを飾るものである。美術は多く宗教とともに発達してきたが、近代以降は宗教から独立した一分野を形づくるようになり、個性の表現としても捉えられるようになってきている。 美術は芸術の一分野である。芸術とは、表現者あるいは表現物と、鑑賞者とが相互に作用し合うことなどで、精神的・感覚的な変動を得ようとする活動である。とりわけ表現者側の活動として捉えられる側面が強く、その場合、表現者が鑑賞者に働きかけるためにとった手段、媒体、対象などの作品やその過程を芸術と呼ぶ。表現者が鑑賞者に伝えようとする内容は、信念、思想、感覚、感情など様々である。 「美術」という言葉は、西周が1872年(1878年説もあり)『美妙学説』で英語のファインアート(fine arts)の訳語と翻訳した(「哲学ノ一種ニ美妙学ト云アリ、是所謂美術(ハインアート)ト相通シテ(後略)」とある)と言われるが[3]、1873年(明治6年)、日本国政府がウィーン万国博覧会へ参加するに当たり、出品分類についてドイツ語の Kunstgewerbe および Bildende Kunst の訳語として黒川真頼(のち東京帝国大学教授・文学博士)が正式に「美術」と制定した。 黒川真頼は文部省雇として辞書編纂や史略編集、ローマ字での国語綴輯を命ぜられており、ウィーン万国博覧会「出品差出勤請書」に添付する出品規定をまとめることも兼務した時に制定したとされるが[4]、中川一政の著書によると、もともと中国から来た「美」という文字は「羊」と「大」を繋げた文字であり、羊は生贄として神様に捧げることもする御馳走で、大きく太っている羊はうまいというのが字の由来であった。古今東西にあたって名人、天才が生んだ作品が発生する感銘は美という字の由来で縛り切れないため、黒川真頼は「美」という字を不満に感じていた。「美」という字の他にもっと良い字がないかと迷い様々な文字を検討したが適当な言葉が見当たらないため、しばらくこの字を用いると但書を書いた[5][6][7]。 1876年(明治9年)に初の美術教育機関として工部大学校に工部美術学校が開設された。また、1877年(明治10年)の『内国勧業博覧会区分目録 ある時代の美術が一定の特徴や傾向を示している場合、様式概念を用いて説明することがよく行われる。例えばゴシック様式、バロック様式などである。一つの優れた作品、あるいは優れた作家が誕生し、時代の要求に応えた新たな美の形式を提示すると、同時代の作家たちがそれに影響され、多くの模倣作が造られるものである。 代表的な美術の分野(ジャンル)は絵画と彫刻である。これに、版画、陶芸、染織、写真、インスタレーション、映像(動画)、パフォーマンスなども含む場合がある。
定義
語による「校定東觀 五經 諸子 傳記 百家?術 整齊?誤 是正文字」の「?術」から来ており、本来の意味は技芸と学術である。
様式
ジャンル