美術解剖学(びじゅつかいぼうがく,英Anatomy for Artists、Artistic Anatomy)とは、主に人体を中心とした、生物の解剖学的な構造を美術制作(主に具象芸術
)に応用するための知識体系。目次主な研究対象は人間である。近代以前までは、騎馬像の需要から馬も研究された。他には、犬、家畜、鳥などがある。以下の解説は、人体の美術解剖学に関する内容である。
美術解剖学は、生体の体表観察では的確に捉えることが難しい体表面の起伏や構造を、解剖学的に認識することで捉えやすくしようとする。その目的から、体表の形状に最も直接的に影響を与える運動器系、すなわち、骨格系と筋系が主に取り扱われる。その他に、循環器系は皮静脈
が皮下に観察されることから、その走行が取り上げられる。いわゆる内臓は通常は扱われない。皮下脂肪を含む、結合組織も取り上げられる事は少ない。体表であり特徴的であるにもかかわらず、外生殖器も通常扱われない。解剖学を主な情報源とした応用解剖学の一つと見なされる。人種差、性差、年齢差のように人類学や生物学また発生学的な情報も含まれる。また、人体比率や、顔の表情などを扱うのも特徴的である。
このように、美術解剖学は、人体の造形の参考になる情報を、様々な研究領域から集めて総合的に再編纂したものである。
現在の日本では、上記のような参照的もしくは教育的要素のもの(Anatomy for artists)の他に、解剖学的視点で芸術作品を批評分析または研究する芸術学の領域(Artistic anatomy)としても解釈されている。
解剖(解剖学)を美術として扱う分野と誤認されていることもしばしばある。
歴史
起源 アルブレヒト・デューラーによる人体比例図
解剖学は、名も無く捕らえどころの無い自然物に名称を与え概念化することによりその情報を共通して扱えるようにする働きがある。人体表現の様式化は情報の共通化によって可能になる事から、それを広義での解剖学的視点と見るなら、様式立った人体造形を確立していたエジプト、メソポタミアまで時代をさかのぼる事が出来る。エジプト美術では、アマルナ時代を代表とする写実的な人体表現や神として崇められた様々な動物の表現からも、当時すでに緻密で冷静な生体観察がされていたことがうかがえる。ギリシャ美術、クラシック時代(紀元前5世紀前半)になると、ポリュクレイトスによって片方の脚に体重をかけて「休め」の姿勢をとるコントラポストが様式化され、また人体が美しく調和を持って見える理想の比例としてカノンが考案された。
人体の外見から推し量れる基準は古くから研究されまた実践されたが、それを内面から解剖的手法によって把握しようとするのはイタリア・ルネサンス期に入ってからである。レオン・バティスタ・アルベルティの「絵画論」(1436年)には、絵画における解剖学研究の必要性があげられている。レオナルド・ダ・ヴィンチの解剖手稿が描かれたのはこの頃であり、ミケランジェロ・ブオナローティもまた自ら解剖を行ったと伝えられている。アルブレヒト・デューラーにより人体比例研究の成果として「人体均衡論四書」が著される(1528年)。解剖学者アンドレアス・ヴェサリウスによる解剖学書、通称「ファブリカ」が出版(1543年)され、それまでにない解剖図譜の精緻さと人体表現から医学のみならず美術に対してもその後大きな影響を与えた。芸術表現のための人体解剖の必要性とその実践が記録として残されているこの時代が、実質的な美術解剖学の誕生の時期と見ることが出来る。