美甘村
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みかもそん
美甘村

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廃止日2005年3月31日
廃止理由新設合併
真庭郡勝山町落合町湯原町久世町、美甘村、川上村八束村中和村上房郡北房町 → 真庭市
現在の自治体真庭市
廃止時点のデータ
日本
地方中国地方山陽地方
都道府県岡山県
郡真庭郡
市町村コード33585-1
面積67.19 km2
総人口1,634人
国勢調査、2004年10月1日)
隣接自治体真庭郡勝山町、湯原町、新庄村阿哲郡大佐町
村の木ヒノキ
村の花ツツジスイセン
美甘村役場
所在地717-0105
岡山県真庭郡美甘村大字美甘4134番地
旧・美甘村役場庁舎位置
(現・真庭市役所美甘振興局)
真庭市役所美甘振興局(旧・美甘村役場)
外部リンク美甘村 (Internet Archive)
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度9分26秒 東経133度37分26秒 / 北緯35.15722度 東経133.62389度 / 35.15722; 133.62389

特記事項2004年8月頃までの美甘村役場の住所:
岡山県真庭郡美甘村大字美甘4014
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美甘村(みかもそん)は、かつて岡山県の北部に位置したである。真庭郡に属した。現在は合併により真庭市となっている。真庭市の中でも北西部にある中山間地域である。
沿革

1889年(明治22年)真島郡の美甘村・鉄山村・黒田村・田口村・延風村が合併して美甘村となり、それぞれの地区が大字になる。1900年(明治33年)真島郡と大庭郡が合併したため、真庭郡の所属となる。その後2005年(平成17年)平成の大合併の折、真庭市となる。
地理

岡山県の北部、真庭市の中部に位置し美甘・鉄山・黒田・田口・延風の5つの地区から成った[1]。総面積は約67?。おもに新庄川出雲街道国道181号線に沿って町が開けている。西には真庭郡新庄村が隣接している。総面積の約90%が林野で占められていた。
歴史

美甘の名がはじめて文献に見られるのは、平安時代初期に書かれた『和名抄』。その中に「美甘」「美加茂」と記されている[2]。平安時代の終わりには荘園美甘庄が成立。美甘、黒田、田口が属していた。ちなみに鉄山は建部庄に属していた。藤原兼実の日記『玉葉』に、その名が書かれている[2]

1221年(承久3年)鎌倉幕府に反抗した後鳥羽上皇隠岐に配流された際、そこへ向かう道中に美甘も入っていたと言われる[2]戦国時代には、美甘が山陰へ通じる山陽側の要衝地だったため、勝山高田城の先鋒的な役割を担っていた。ただそのため、緒戦において常に戦火の被害を被っていた[2]

1646年(正保2年)美作国大名の森忠政により、美甘地域の地秤りが行われた[2]。また1651年(慶安4年)美甘川の南にあった町屋敷を街道筋(後の出雲街道)のある北側に移すなど、森藩は1652年(承応元年)から3年かけて宿場をつくりあげたと言われている[3]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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