美濃電気軌道
種類株式会社
本社所在地 日本
岐阜県岐阜市長住町2丁目3番地[1]
設立1909年(明治42年)11月20日[2]
業種鉄軌道業
事業内容旅客鉄道事業、バス事業、電気事業 他[3]
代表者社長 松久正博
美濃電気軌道(みのでんききどう)は、かつて岐阜県一帯に鉄道路線・路面電車(軌道)路線を有していた会社。通称は美濃電。
後の名鉄名古屋本線笠松駅以北(現存)と、岐阜市内線・揖斐線・高富線・鏡島線・美濃町線[4]を運営したが、1930年(昭和5年)に岐阜進出を図る(旧)名古屋鉄道と合併し、名岐鉄道となった(その後更に名岐鉄道と愛知電気鉄道との合併を経て現在の名古屋鉄道となる)。
本項では、美濃電気軌道に合併された長良軽便鉄道および岐北軽便鉄道についても合わせて記述する。 岐阜市の箕浦宗吉などといった52名の資本家によって創設され、1911年(明治44年)に岐阜停車場前(柳ヶ瀬、後の岐阜駅前駅) - 今小町間で後の岐阜市内線に当たる路線を開業させたのを皮切りにして、順次路線を延伸する。1914年(大正3年)には、初の郊外路線でもある笠松線(後の名古屋本線)を部分開業させた。 1915年(大正4年)には後の高富線である長良軽便鉄道の路線と接続し、連絡運輸を行うようになったが、1920年(大正9年)には同社を合併、本格的に直通運転を行うようにした。なお、後の揖斐線を経営していた岐北軽便鉄道も1921年(大正10年)には合併しているが、こちらとの直通運転は美濃電が名鉄に合併された後の1967年(昭和42年)まで実現しなかった。 その頃、(旧)名古屋鉄道はそれまでの本業であった市内線(名古屋市へ譲渡)を失い、一宮線(廃線)・犬山線・津島線などといった郊外路線のみの営業となっていたため、新たな活路を見出そうと、名古屋・岐阜という2つの県庁所在都市を結ぶ路線(今の名古屋本線)を敷設することを目論んだ。 その過程において、新岐阜駅[注釈 1] - 笠松駅[注釈 2]に笠松線を有していた美濃電を合併し、新線建設に際して同社の保有路線を用いるのが効率的であったことと、中部圏における自主的な私鉄統合の流れによって、1930年(昭和5年)に名古屋鉄道へ美濃電は合併された。その直後、名古屋鉄道は社名を名岐鉄道と改称し、1935年(昭和10年)には木曽川橋梁を完成させ、名岐間の直通路線を実現した(実現まもなく、名岐鉄道と愛知電気鉄道の合併があった)。 1930年合併時 路線ごとの詳細は、各路線の項目を参照のこと
概要
保有路線美濃電気軌道路線図
軌道線
市内本線:駅前停留場 - 徹明町停留場 - 美濃電柳ヶ瀬停留場 - 長良北町停留場
市内支線:徹明町停留場 - 千手堂停留場 - 忠節橋停留場
美濃町線:美濃電柳ヶ瀬停留場 - 新美濃町駅
鉄道線
笠松線:新岐阜駅 - 笠松駅
北方線:忠節駅 - 本揖斐駅
高富線:長良駅 - 高富駅
鏡島線:千手堂駅 - 鏡島駅
未成線
瀬尻村小瀬 - 太田町東町 11.6km : 1918年7月出願、1919年9月却下[5][6]。
琴塚 - 鵜沼 13.9km : 1921年1月出願、1921年5月返付[5][6]。
岐阜 - 今伊勢町 - 名古屋市堀内町 29.4km : 1921年1月出願、その後却下。名古屋電鉄、東海道電鉄、愛知電鉄らによる名岐間鉄道計画に対する対抗策[7][8]。
今伊勢町 - 草井村 9.4km : 1921年4月出願、1924年8月却下。名岐間計画線の支線[7][8]。
各務線・芥見線:1922年4月出願、1922年9月14日取得[9]
金園町 - 那加 - 芥見 9.8km
那加 - 各務 6.0km
芥見線 (変更):1925年2月19日変更認可[10]
長住町 - 岩戸前 - 芥見 11.1km
芥見線(短縮):1925年8月15日短縮認可[10]、1928年6月9日起業廃止[11]
長住町 - 岩戸前 2.5km
芥見線 (別案)
長住町 - 芥見 13.1km : 1928年5月出願、1928年6月取得、1932年11月失効[5][6]。
年表岐阜付近の路線変遷笠松付近の路線変遷
1907年(明治40年)9月5日 軌道線敷設特許状下付[12]
1909年(明治42年)11月20日 創立[13]初代社長は才賀藤吉[14]
1911年(明治44年)
2月11日 初の路線である、駅前 - 今小町間、神田町-上有知間開業
10月7日 今小町 - 本町間が開業[12]