美浜発電所
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美浜発電所と丹生大橋(2019年11月)美浜発電所(1975年)[1]地図

美浜発電所(みはまはつでんしょ)は、福井県三方郡美浜町丹生に所在する関西電力原子力事業本部の原子力発電所。1号機及び2号機は廃炉作業中。3号機は40年超え原発として福島事故後の新規制基準のもとで全国ではじめて再稼働した。出力82.6万kW。(1?3号機の合計出力は166.6万kWであった。)
施設概要

若狭湾に面する敦賀半島の西部に位置しており、日本の電力会社として初めて開設した原子力発電所である。

発電所に向かう丹生大橋の入り口に、発電所のPR施設「美浜原子力PRセンター」がある。また、発電所施設内には樹齢300年を超える黒松の「根上りの松」(ねあがりのまつ)があり、日本の白砂青松100選に選ばれている[2]

近くには、丹生海水浴場、水晶浜海水浴場、ダイヤモンドビーチなどの海水浴場がある[3]
沿革

関西電力は、原子力発電所の設置を広大な敷地が確保できる点や自然災害が少ないなど、候補地を日本海側は能登半島から丹後半島太平洋側は紀伊半島を選定していた[4]。その中で、関西電力は1961年10月、敦賀半島の敦賀市浦底地区と美浜町丹生地区の2か所を調査地点に選定した。翌年の1962年に、調査対象地点の1つである丹生地区で発電所の開発が進められることになった[5]

1965年1月 - 社内に「建設推進会議」を設置する。

1967年8月21日 - 1号機が着工する。関西電力の当時の社長であった芦原義重が陣頭指揮を取り、「万国博覧会に原子の灯」が合言葉だった。

1970年

7月29日 - 1号機、臨界に達する。

8月8日 - 大阪府吹田市で開催されていた日本万国博覧会の会場に約1万kwを試送電し、会場内の電光掲示板に送電されたことが表示された[6][7]

11月28日 - 1号機、日本の電力会社として初めて原子力炉の営業運転を開始する。


1991年2月 - 2号機、蒸気発生器細管破断事故が発生する。

2004年8月 - 3号機、二次系配管破損事故が発生する。

2010年11月 - 1号機、運転開始から40年を経過する。

2015年3月17日 - 関西電力が1号機と2号機の廃炉を決定し、福井県に通知する[8]

2015年4月27日 - 1号機と2号機が法的に正式に廃炉される[9]

2021年4月28日 - 県知事の杉本達治が3号機の再稼働に同意する[10]。7月3日原子炉起動、7月30日営業運転開始。

2021年10月23日 - 3号機が特定重大事故等対処施設(いわゆるテロ対策施設)が完成していないため、同施設設置期限である10月25日までに運転を停止することになる[11]

2022年9月26日 - 3号機が調整運転を経て本格運転を再開した[12]

発電設備

番号原子炉形式主契約者定格電気出力定格熱出力運転開始日設備利用率
(2009年度)現況
1号機加圧水型軽水炉(PWR)WH三菱原子力工業34万kW103.1万kW1970年11月28日73.7%廃炉作業中(2045年度完了予定[13]
2号機三菱原子力工業50万kW145.6万kW1972年7月25日72.8%
3号機加圧水型軽水炉(PWR)三菱商事82.6万kW244万kW1976年12月1日[8]75.2%運転中

1、2号機の後継機の建設を計画中[14]

美浜発電所(水晶浜より撮影、2015年4月)
写真右側は1号機。

美浜発電所(美浜町丹生漁港より撮影、2009年7月)
写真右側は3号機。

過去の主なトラブル

1973年3月(日付不明)

美浜1号機において第三領域の核燃料棒が折損する事故が発生した。しかしこの事故は当初外部には明らかにされず、
関西電力は秘密裏に核燃料集合体を交換しただけであった。

この事故が明らかになったのは、当時、雑誌『展望』に「原子力戦争」(講談社文庫に収録)を連載していた田原総一朗に宛てて内部告発[15]があったためである。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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