美しき女庭師
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『美しき女庭師』フランス語: La Belle Jardiniere
イタリア語: Bella giardiniera

作者ラファエロ・サンティ
製作年1507年 - 1508年
種類油彩
寸法122 cm × 80 cm (48 in × 31 in)
所蔵ルーヴル美術館パリ

『美しき女庭師』[1](うつくしきおんなにわし[2]: La Belle Jardiniere、: La Belle Jardiniere)は、イタリアの画家ラファエロ・サンティにより1507年 - 1508年に描かれた絵画である[3][4][5][6][7][8][9][10]

画家・彫刻家・建築家列伝』を著したジョルジョ・ヴァザーリを信ずるとするなら、ラファエロは、1508年にローマに発つ前にこの絵画を未完のまま残し、弟子が完成させたということである[5]が、フィレンツェ時代のラファエロの総決算が示されている傑作である[8]。作品はパリにあるルーヴル美術館に所蔵されている[3][4][5][6][7][8][9][10][11]
制作年

聖母マリアのマントの肘の金糸飾りのところに「Raphaello Urb」という文字が見えるが、これは「ウルビーノのラファエロ」を意味する画家の署名である。マントの左ひじに近いところには 「M.D.V.II」という文字が見え、これは作品の製作年を示している[9]。しかし、「II」ではなく「III」の年記が顕微鏡で確認されたことが1984年の『フランスのラファエロ展』カタログの中で報告され、それが正しいとすれば1508年の制作ということになる[7][8]。この年記の最後の文字「I」はほとんどかすれて見えず[7]、「1507」と読まれてきた[6]。ラファエロは、1508年に生涯を終える場所となるローマへ赴くが、本作は画家がフィレンツェで描いた一連の聖母子画の最後のものであろう[3][7]
歴史

この絵画を委嘱したのが誰なのかは不明である[3][8]が、ヴァザーリによれば、本作の委嘱者はシエナの貴族フィリッポ・セルガンティである[4]。後に、フランス国王フランソワ1世フォンテーヌブロー宮殿のために購入したと考えられ[3][4][8]ルイ14世のコレクションを経て、ルーヴル美術館に収蔵されるにいたった[8]

本作は、当初、『農民の聖母』という題名でフランス王室コレクションの記録に記されていた。1720年頃に、芸術愛好家であるピエール・ジャン・マリエットの『手引書』において『女庭師』という題名がつけられ、その後、『美しき女庭師』と記されるようになった。『美しき女庭師』の名称は、1729年にジャック・シュノーが出版した銅版画に由来するともみなされる[3]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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