美しい日本の私―その序説
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美しい日本の私―その序説
訳題Japan, the Beautiful, and Myself
作者
川端康成
日本
言語日本語
ジャンル随筆評論
発表形態ノーベル文学賞授賞記念講演
刊本情報
出版元講談社現代新書
出版年月日1969年3月16日
装画浜谷浩(カバー写真撮影)
中島英樹(カバー改装後)
総ページ数76
idISBN 4-06-115580-6
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『美しい日本の私―その序説』(うつくしいにほんのわたし――そのじょせつ)は、川端康成評論1968年(昭和43年)12月10日、日本人として初のノーベル文学賞を授与された川端(当時69歳)が、12月12日ストックホルムスウェーデン・アカデミーで行われた授賞記念講演において演説した芸術観・文化論である[1][2]

日本人の美の心を端的に語った『美しい日本の私―その序説』は[1]、世界に向かい、広く日本の古典文学・芸術を紹介し、その根底をなす伝統的な日本人の心性思想の特質、西欧と異なる死生観などを説いた日本文化論であると同時に、現代の日本文学者・川端自身の心根にも、その伝統が脈々と受け継がれていることを宣言した記念碑的な作品である[3][4][5]

講演の全文は同年12月17日の朝日新聞ほか各紙に掲載され、翌1969年(昭和44年)3月16日に、旧仮名遣いで英訳も併せ、講談社現代新書で刊行された[6]。文庫版も同社より刊行されている。翻訳版はエドワード・G・サイデンステッカー(英題:Japan, the Beautiful, and Myself)をはじめ、各国で行われている[7]
講演の背景・概要

1968年(昭和43年)12月10日、川端康成はストックホルム・コンサートホールで行われたノーベル賞授賞式に紋付き袴の正装で出席し、翌々日の12日昼2時10分にはスウェーデン・アカデミーにおいて、スーツ姿で受賞記念講演を日本語で行なった[1][8]。この『美しい日本の私―その序説』と題された講演では、道元明恵西行良寛一休などの和歌が引用され、エドワード・G・サイデンステッカーにより同時通訳された[1][注釈 1]

川端は、ストックホルムへ出発する前から講演の草稿執筆に取りかかり、12月3日に羽田を発つ時点で半分ほど書き上げたが、講演当日12日早朝もまだ執筆中で、宿泊ホテルの部屋を訪ねた石浜恒夫に、「やっと調子が出始めたところですよ」と述べて落ち着きはらっていたという[1]。そのため昼に同時通訳をしなければならないサイデンステッカーは、翻訳を短い時間で苦心し、コペンハーゲン大学に出講していた仏教学者・藤吉慈海の助言を受け、事なきを得た[1][2][注釈 2]。川端は3日間ほとんど徹夜で書き上げ、「作家はこれぐらいの徹夜はできるもんだ」と、その出来に満足し上機嫌だったという[10]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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