美々信号場
2024年4月
びび
Bibi
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所在地北海道千歳市美々.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯42度46分39.48秒 東経141度42分39.72秒 / 北緯42.7776333度 東経141.7110333度 / 42.7776333; 141.7110333
美々信号場(びびしんごうじょう)は、北海道千歳市美々にある北海道旅客鉄道(JR北海道)千歳線の信号場。電報略号はヒヒ、事務管理コードは▲131410[2]。旅客営業時代の駅番号はH15。 1926年(大正15年)8月21日、北海道鉄道札幌線(後のJR北海道千歳線)の開業と同時に旅客扱いも行う駅として設置された[1][新聞 1]。当時、駅の周辺は犬上商船の経営者で北海道鉄道の社長でもあった、犬上慶五郎が所有する犬上牧場が広がっており、犬上が自身の所有地近くに設置した[新聞 1]。 その後利用客僅少により、2017年(平成29年)3月4日のダイヤ改正に併せて旅客営業を終了し[報道 1]、信号場となった[新聞 2]。 説としては、現在の美々川に支流が多く、屈曲していたために「ペッ・ペッ(pet-pet)」(川・川)とされたとするもの、あるいは「ペペ(pe-pe)」(水・水[注 2])から来たとするものなどが存在する[12]。 似た由来を持つ駅名は、他に弁辺(べんべ。現・豊浦駅)や辺別(べべつ。現・西神楽駅)などがあった。それらは後に地名ごと改称された(語呂が悪いからとも、北海道方言の「べべ(女陰)」に音が似ているからとも)が、美々だけはそのまま名称を残している。
歴史
年表
1926年(大正15年)8月21日:北海道鉄道(2代)札幌線の駅として開業[1]。旅客・荷物を取扱い。
1943年(昭和18年)8月1日:戦時買収により北海道鉄道が国有化され、鉄道省(国鉄)千歳線の駅となる[1]。
1968年(昭和43年)
8月23日:植苗方面複線化供用開始[3]。
11月25日:千歳方面複線化供用開始[3]。
1974年(昭和49年)10月1日:荷物取扱い廃止[4]。
1979年(昭和54年)8月:跨線橋着工[5]。
1980年(昭和55年)
3月末:跨線橋設置[6]。
5月15日:直営駅から停留所に降格し[5]、無人化[7][8]。
10月1日:2番線を千歳空港駅折り返し列車などの待避線とする[5]。
1981年(昭和56年)10月以前:駅舎改築[注 1][5]。
1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化によりJR北海道に継承[1]。
1995年(平成7年):同年ごろ、千歳科学技術大学や工業団地「千歳美々ワールド」への通勤通学客の利便を目的に駅舎移転の検討も行われる。しかし南千歳駅と至近、等の事情で立ち消えとなる[5]。
2004年(平成16年)4月:ホームを延伸し、定期列車のドアカットを廃止[9]。
2008年(平成20年)10月25日:ICカードKitaca使用開始[1]。
2016年(平成28年)6月:JR北海道が千歳市に対して、当駅を廃止する意向を伝え、千歳市もこれを容認[新聞 1][新聞 3]。
過去5年間の乗降客数が1日平均1人にとどまっている、などの理由からで[新聞 1]、廃止直前では一部の普通列車は当駅を通過していた[1]。
2017年(平成29年)
3月4日:旅客扱いを廃止し[報道 1][新聞 4]、美々信号場となる[10]。
Kitacaをはじめとした交通系ICカード全国相互利用サービス対応の改札機がある駅として、全国で初の廃駅であった[11]。
10月:跨線橋撤去[5]。
2018年(平成30年)1月:ホーム撤去[5]。
信号場名の由来