羊羹
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水羊羹(右)と葛饅頭(左) 抹茶羊羹

水羊羹[1]100 gあたりの栄養価
エネルギー715 kJ (171 kcal)

炭水化物40.0 g
食物繊維2.2 g

脂肪0.1 g
飽和脂肪酸0.01 g
一価不飽和0 g
多価不飽和0.03 g

タンパク質2.6 g

ビタミン
ビタミンA相当量β-カロテン(0%) 0 μg(0%)0 μg
チアミン (B1)(0%) 0 mg
リボフラビン (B2)(1%) 0.01 mg
ナイアシン (B3)(0%) 0 mg
パントテン酸 (B5)(0%) 0.02 mg
ビタミンB6(0%) 0 mg
葉酸 (B9)(0%) 1 μg
ビタミンB12(0%) 0 μg
ビタミンC(0%) 0 mg
ビタミンD(0%) 0 μg
ビタミンE(9%) 1.4 mg
ビタミンK(2%) 2 μg

ミネラル
ナトリウム(4%) 57 mg
カリウム(0%) 17 mg
カルシウム(1%) 10 mg
マグネシウム(2%) 8 mg
リン(3%) 23 mg
鉄分(6%) 0.8 mg
亜鉛(3%) 0.3 mg
(3%) 0.06 mg

他の成分
水分57.0 g


単位

μg = マイクログラム (英語版) • mg = ミリグラム

IU = 国際単位

%はアメリカ合衆国における
成人栄養摂取目標 (RDI) の割合。

羊羹(ようかん)は、一般には小豆を主体とした(羊羹舟)に流し込み寒天で固めた和菓子である。

寒天の添加量が多くしっかりとした固さの煉羊羹(ねりようかん)と、寒天が少なく柔らかい水羊羹(みずようかん)がある。また、寒天で固めるのではなく、小麦粉葛粉を加えて蒸し固める製法もあり、これは蒸し羊羹と呼ばれる。単に「羊羹」と称した場合は煉羊羹を指すことがある。

煉羊羹は糖度が高いため保存性が高く、適切な状態で保存すれば常温で1年以上の長期保存が可能なものが多い[2]。この特徴を生かして非常食保存食としても販売されているものもある[3]。また、糖度が高く、少量でも高カロリーであり、体内ですぐにエネルギーに変換されることから、スポーツの補給食としても注目されている[4]
歴史
中国大陸での羊羹

もともとは中国大陸の料理で、読んで字のごとくの羹(あつもの)[注釈 1]、つまりは羊の肉を煮たスープの類であった[6]南北朝時代北魏の捕虜になった毛脩之が「羊羹」を作ったところ太武帝が喜んだという記事が宋書に見えるが、これは本来の意味の羊のスープであったと思われる[7]

鎌倉時代から室町時代に、禅僧によって日本に伝えられたが、禅宗では肉食が戒律五戒)により禁じられているため、精進料理として羊肉の代わりに小豆や小麦粉、葛粉などを用いたものが、日本における羊羹の原型になったとされる。
中世の羊羹

日本の文献における「羊羹」の初出は室町時代前期(1300年代後半)に書かれた『庭訓往来』の「点心」の記事とされる。タケノコ入りと考えられる「箏(笋)羊羹」と、砂糖入りと考えられる「砂糖羊羹」の記載がある[8]。当時の羊羹は汁とともに食べるものであった[9]。1504年頃の武家の作法書『食物服用之巻』を見ると、羊羹の膳で汁と具が別々になっており、その後酒宴での料理の一品、そして菓子へと変化していく中で汁が添えられなくなっていったと考えられる[10][11]

御成の献立にも羊羹が登場する。御成の献立記録を江戸時代に写した『膳部方記録』を見ると、このときの羊羹の材料には生豆(小豆と考えられる)の粉、小麦粉、葛粉をこねたものが使われており、山芋や胡桃などを入れて蒸すと記載されている。砂糖や汁の有無については記載がない[12]

1500年代半ばに茶の湯が盛んになると、羊羹は「菓子」として茶会で供されるようになる。ただし、当時の茶会では甘い物以外に酒の肴も出されており、現在イメージされる甘い羊羹だったとは言い切れない。[13][注釈 2]
近世の羊羹

江戸時代初頭に発行された『日葡辞書』には、「羹(カン)」「羊羹」「砂糖羊羹」が採録されており、「羹」は「豆や小麦と粗糖(黒砂糖)または砂糖とで作る、日本の甘い菓子の一種」、「羊羹」は「豆に粗糖をまぜて、こねたもので作った食物」、「砂糖羊羹」は「豆と砂糖とで作る、甘い板菓子(羊羹)の一種」と記載されている。このことから、記載されている羊羹と砂糖羊羹はいずれも小麦粉を使って蒸した菓子であり、羊羹は黒砂糖、砂糖羊羹は上等な白砂糖を使っていたと推測される[15]

江戸時代には、蒸した生地を臼でついたりこねたりして成形する製法と、枠(箱)に生地を流し入れて蒸し固める製法の2種類の製法があった。虎屋文庫『ようかん』では、室町中期の武家故実書『三議一統大双紙』に描かれている州浜形のものが羊羹である可能性があるとして、前者の蒸した生地を成形する製法が古くからあるもので、後者の蒸すだけの製法は簡易な製法として後に考案されたものではないかと考察している。現在の羊羹のイメージに近い直方体の羊羹が描かれた最古の史料は1688年の『庭訓往来図讃』である。[16]

ここまでの羊羹は今で言う蒸し羊羹であったが、18世紀の後半に寒天を用いた煉羊羹が登場する。寛政(1789年-1801年)のはじめに江戸本町の「紅粉や志津磨(紅谷志津磨)」という店が考案したという説や、喜太郎という人物が日本橋で売り出したとする説[注釈 3]が有名だが、前田治脩の『大梁公日記』の1773年10月12日の条に「ねりやうかん」を食べたという記載があり、誕生はさらに遡る[17]

食感がよく日持ちもする煉羊羹は江戸で人気を博し、数十年のうちに地方の菓子屋へも製法が広まった[18]。1841年の菓子製法書『菓子話船橋』や1849年の『諸国名物一覧』の記載から、1800年代半ばには蒸し羊羹にかわって煉羊羹が主流になり始めていたと考えられる[19]。素材や製法のバリエーションも増え、ユズミカンゴマを素材にしたものなどが登場した[20]
近代の羊羹

明治時代に入ると、国内の産業発展促進の流れのなかで羊羹も製造過程の改良や商品の多様化が進む。また、交通網の発達によって観光客が増えたことで、各地で土産菓子が工夫されるようになり、明治から昭和時代にかけてその土地ならではの羊羹が作られて定着していった。[21]

特殊な包装・用途としては、ゴム風船の中に詰めた玉羊羹1937年に登場している。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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