全羅南道 羅州市羅州郷校・大成殿
位置
各種表記
ハングル:???
漢字:羅州市
日本語読み仮名:らしゅうし
片仮名転写:ナジュ=シ
ローマ字転写 (RR):Naju-si
統計(2023年)
面積:608.42 km2
総人口:117,377[1] 人
男子人口:59,261 人
女子人口:58,116 人
人口密度:192.92 人/km2
世帯数:60,419 世帯
行政
国: 大韓民国
上位自治体:全羅南道
下位行政区画:1邑12面7行政洞
自治体公式サイト: ⇒羅州市
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羅州市庁
韓国有数の梨の産地として知られ、市のシンボルマークのモチーフともなっている。日本統治時代、羅州に多く暮らしていた内地人が朝鮮人に梨の栽培方法を教えたことに起因する。敗戦後、梨園は韓国人に引き継がれ、現在に至っている。
現在は韓国電力公社の本社所在地でもある。 全羅南道の西南部、栄山江流域の羅州平野に位置する。総面積 608平方?。北は光州広域市、東は和順郡、南は霊岩郡、西は務安郡、咸平郡と接する。行政区域は1邑 12面 6洞よりなる。 2017年末の人口は約11万人。1968年は247,071人であったが、農村人口の流出によって2000年代に至るまで減少が続き、2004年には10万人を割った。しかし近年は「光州・全南共同革新都市」の建設とそれに伴う韓国電力公社などの転入による効果で、再び11万人台を回復した。[2] 百済の発羅郡の地で、678年に統一新羅の全国九州設置時に発羅州となり、757年錦山郡と変わった。新羅末期の後三国時代には後百済の領域に入った。高麗時代に羅州の名前が使われるようになり、983年羅州牧に昇格し、1018年に設置された全国八牧制度でも羅州牧が続いた。 南平は、百済の未冬夫里を、新羅が玄雄に改名し、高麗で南平になった。市内にはほかにも、新羅時代に潘南 羅州は古代から全羅道南部地域の中心で、全羅は全州と羅州を意味するが、観察使が駐在するようになったのは、1895年に二十三府制の施行により羅州府が置かれてからである(同時に牧を郡に変更)。しかし翌1896年には十三道制となることで全羅南道の道庁所在地は光州に置かれ、羅州はその管轄に入った。1914年、羅州郡と南平郡が合併して新・羅州郡が成立し、1931年に羅州面が邑に昇格した。
地理
人口
歴史
1895年6月23日(旧暦閏5月1日) - 羅州郡となり、本郡含む全南地域の全域を管轄する羅州府
1896年8月4日 - 全羅南道羅州郡に改編されて、この時38面32島のうち32島が新設の智島郡に移管され、元正・金磨