繭子ひとり
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繭子ひとり
作者三浦哲郎
日本
言語日本語
ジャンル長編小説
発表形態新聞連載
初出情報
初出東奥日報(1963年
刊本情報
出版元新潮社
出版年月日1965年9月
総ページ数365
ウィキポータル 文学 ポータル 書物
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『繭子ひとり』(まゆこひとり)は、三浦哲郎日本小説1963年東奥日報に連載[1]された後、1965年新潮社より刊行された。

1966年1971年の2度テレビドラマ化されている。
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登場人物

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書籍情報

繭子ひとり(1965年、
新潮社

繭子ひとり 上(1972年、新潮社)

繭子ひとり 下(1972年、新潮社)

テレビドラマ化を受けて再販された。設定が新聞連載された昭和38年から昭和46年に変更されており、他にも推敲がされている。

繭子ひとり(上)(2009年5月1日配信、新潮社、電子書籍

繭子ひとり(下)(2009年5月1日配信、新潮社、電子書籍)

テレビドラマ(1966年版)

繭子ひとり
ジャンル
テレビドラマ
原作三浦哲郎
演出山内和郎
出演者藤純子
松山英太郎
吉田日出子
杉浦直樹
製作
製作NETテレビ

放送
放送国・地域 日本
放送期間1966年8月11日 - 1966年9月1日
放送時間木曜 22:00 - 22:56
放送枠ナショナルゴールデン劇場
放送分56分
回数4回
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1966年8月11日から9月1日までNETテレビ(現・テレビ朝日)系列の「ナショナルゴールデン劇場」で放送。全4話。

出演は藤純子松山英太郎吉田日出子杉浦直樹など。
テレビドラマ(1971年版)

繭子ひとり
ジャンルテレビドラマ
原作三浦哲郎
脚本
高橋玄洋
演出松井常男
出演者山口果林
草笛光子
露口茂
目黒祐樹
黒柳徹子
北林谷栄
ナレーター石坂浩二
音楽柳沢剛
製作
製作NHK

放送
放送国・地域 日本
放送期間1971年4月5日 - 1972年4月1日
放送時間月曜 - 土曜 8:15 - 8:30
放送枠連続テレビ小説
放送分15分
回数310回[2]

番組年表
前作
次作藍より青く
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1971年4月5日から1972年4月1日まで放送されたNHKの「連続テレビ小説」の第11作。

ヒロイン・繭子が生活の中で「幸せ」を求めて生きていく様子を、ドラマチックに描いた[3][4]。物語の舞台は、青森県三戸町八戸市東京宮城県鳴子温泉広島石川県能登半島などさまざまで、視聴者の望郷心をくすぐり、当時お茶の間に話題を投げかけた。

1971から1972年の最高視聴率は55.2%、平均視聴率は47.4%であった(関東地区、ビデオリサーチ調べ)[5]

当時圧倒的な人気を誇ったが、長らく映像が1話も現存していないとされていたため、テレビなどで紹介される機会には乏しい。
あらすじ(1971年版)

西に十和田湖、そして八甲田山をのぞむ青森県の三戸町。農業を営む父・加野謙吉の一人娘として生まれた繭子は、21歳の春を迎えた。繭子は毎晩夢を見た。母の夢である。繭子の母は16年前、弟だけを連れて突然三戸から姿を消した。

以来繭子は、母方のおじの久作の家に引き取られて育った。繭子は父をふしぎに覚えていなかった。母はなぜ自分を捨てて消息を絶ったのだろうか。繭子の疑問は年々切実になって、その理由を知りたいという願いにかられていた。しかし久作に八戸の高校まで出してもらった繭子は、そんな願いにばかりひたってはいられなかった。リンゴ園を営むおじ一家にとって、いまでは繭子も大事な働き手の一人だった。久作とおばの定枝は好人物だったが、ひとり娘の美子が年ごろになれば、そこは買う着物一枚にも繭子とは違ってくるのは当然のことだった。そんなとき、繭子をなぐさめてくれるのは祖母のぶだった。

そのころ、繭子に縁談が進んでいた。相手は八戸の青果問屋の次男坊・海江田恵吾でおじ一家にとっては仕事の関係もあり、願ってもない話だった。しかし繭子はなぜか気乗りがしなかった。高校時代の親友・中谷豊子は、人づてに聞いた恵吾の素行を心配し、この縁談に反対した。2月も半ば、八戸に古くから伝わる豊年祈願のえんぶり祭の当日、繭子は海江田家に招かれた。そこで恵吾の両親が母についてもらした不義ということばに繭子はショックを受ける。

これまで繭子が母について祖母から聞いていた話では、父が出稼ぎに行ったまま帰らず、母は父をやっと探したが父に帰ってくる気持ちのないことを知ると、母は世間体もあって東京に働きに出ていつのまにか消息を絶ってしまった、ということだった。それまで母を信じてきた繭子は、どうしても母の家出の真相を知りたいと思った。

海江田家から帰った繭子は母のことを祖母にただすが祖母はあまり話してくれず、そのことはもう忘れた方がいいという。繭子は豊子と相談して、小学校時代の恩師の大西先生に聞いてみることにした。そのころ、リンゴの出荷期を迎え、繭子は仕事に追われる日が続いた。仕事が一段落したある日、繭子はひとりで祖母の里方である陸中八木をたずねた。そこで、繭子は母のことを知っているという網元の船頭・内堀徳二郎から母は不義をしていないという話を聞き、ほっとするのだった。

その帰り道、繭子は大西先生を小学校に訪ねた。大西先生は初め口を閉ざしていたが繭子の真剣さに押され、数年前まで繭子の母と親しくしていたという八戸の料亭のおかみ・浅川千代を紹介する。さっそくたずねた繭子は千代から、数年前千葉県の銚子で芸者仲間だったと聞いて驚く。不義の汚名がはれてほっとした繭子だったが、また別に母に対する不安と不信がつのるのだった。しかもそこで繭子は千代から思いがけない話を聞く。繭子の父親がいま宮城県の鳴子町でこけし作りをして暮らしているという。いままで母のことばかり考え、父のことなど思ってみなかった繭子は冷水を浴びたような気持ちで?然とした。


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