おだ まさお
織田 政雄
本名斎木 政雄[1]
別名義織田 真佐男
生年月日 (1908-01-06) 1908年1月6日
没年月日 (1973-08-30) 1973年8月30日(65歳没)
出生地 日本・東京府東京市牛込区早稲田[2](現在の東京都新宿区)
死没地 日本・東京都江戸川区東小岩[3]
職業俳優
ジャンル映画、テレビドラマ、舞台
活動期間1934年 - 1964年、1968年
主な作品
『幕末太陽伝』
『笛吹川』
『黒い画集 あるサラリーマンの証言』
受賞
ブルーリボン賞
助演男優賞
1960年『笛吹川』、『?東綺譚』
その他の賞
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織田 政雄(おだ まさお、1908年1月6日[1] - 1973年8月30日)は、東京都出身の俳優。本名は斎木 政雄[1]。後名は織田真佐男。
戦前は舞台俳優として活動し、戦後から多くの映画やテレビドラマに出演した。その地味な風貌から脇役ばかりを演じたが、名監督の一流作品に起用され[4]、日本映画黄金期の中で約150作以上の映画に出演した。 1908年(明治41年)1月6日、東京市牛込区早稲田(現在の東京都新宿区)に生まれる。6歳で舞台に立ち、後に東京府立工芸学校(現在の東京都立工芸高等学校)を卒業[5]。 1930年(昭和5年)、尾上菊五郎が創設した日本俳優学校に第一期生として入り[1]、卒業後の1934年(昭和9年)に日本俳優学校劇団に参加した[6][5]。同期生に三津田健、植村謙二郎らがいる。同劇団退団後は、関西新派を経て井上正夫主宰の井上演劇道場に入ったが、1946年(昭和21年)に井上とともに新協劇団に移り、井上の新派復帰後も同劇団にとどまった[5]。1950年(昭和25年)、真山美保らと劇団ヴェリテ・せるくるを結成[5][3]。その後フリーとなり、ラジオドラマを中心に活躍していた[5]。 1953年(昭和28年)、亀井文夫監督の『女ひとり大地を行く』で本格的に映画に出演し、山本薩夫監督『太陽のない街』、今井正監督『真昼の暗黒』などの独立プロ映画に出演する一方、日活と契約を結んで『警察日記』などにも出演し、まもなくフリーとなる。地味な風貌から目立つことのない役柄ばかりを演じているが、川島雄三監督『幕末太陽伝』、木下惠介監督『楢山節考』、小津安二郎監督『秋刀魚の味』、今井正監督『武士道残酷物語』など、名監督たちの一流作品に立て続けに出演している。
来歴・人物