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出典検索?: "織田忠辰"
凡例織田忠辰
時代安土桃山時代 - 江戸時代初期
生誕元亀3年(1572年)
死没慶長18年2月20日(1613年4月10日)
改名虎千代→忠辰
別名備後守
官位従五位下・監物、兵部大輔
主君織田信忠→信雄→豊臣秀吉→秀頼
氏族織田氏(藤左衛門家)
父母父:織田信直
母:織田信秀六女・栄輪院
兄弟信氏、忠辰、牧野宮内少輔娘
妻村上頼勝娘、津田盛月娘
子津田信番、津田知信、津田宗元
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織田 忠辰(おだ ただとき/ただたつ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将。津田姓も名乗った。小田井城主。 織田氏(藤左衛門家)・織田信直の次男として誕生。 織田信忠、信雄に仕え、天正12年(1584年)に起こった小牧・長久手の戦いの後、羽柴秀吉によって小田井城を追われた。この城はやがて廃城になった。その後、罪を許され、秀吉、秀頼父子に仕えた。
略歴
系譜
父:織田信直
母:栄輪院 - 織田信秀六女
妻:村上頼勝娘
次男:津田知信
三男:津田宗元
妻:津田盛月娘
生母不明の子女
男子:津田信番
子の信番(直忠)は秀頼死後、池田忠雄に仕え、知信は尾張藩士となり、宗元は池田輝政に仕えた。
脚注
参考文献
『士林泝』
『藩士名寄』
表
話
編
歴
織田藤左衛門家当主(??? -1613)
織田氏 (平姓)
親真
親基
親行
行広
末広
基実
広村
真昌
常昌
常勝
尾張国守護代家
伊勢守家
(常松) 教信
教長(朝長)
郷広
久広
敏広
寛広
広高
敏信
信安
信賢
大和守家
(常竹) 教広
常任
勝久
久長
敏定
寛定
寛村
達定
勝秀
達勝
信友
清洲三奉行家
因幡守家
広長
広貞
広延
達広
広信
藤左衛門家
常寛
寛故
寛維
寛故
信張
信直
信氏
忠辰
信番
弾正忠家
良信
信定
信秀
信長
信忠
秀信
絶家
弾正忠家の分家・支流
信長流
信忠流
信雄流
秀雄
絶家
信良流
信良
信昌
信久
信就
信右
信富
信邦
信浮
信美
信学
信敏
寿重丸
信敏
信恒
信正
信弘
高長流