繋駕速歩競走
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繋駕速歩競走の練習

繋駕速歩競走(けいがそくほきょうそう、けいがはやあしきょうそう)とは競馬競走の一種である。

これは騎手競走馬のうしろにある繋駕車(一人乗りの二輪馬車)に乗って競走をするもの。平地競走と違い、騎手はジョッキーではなくドライバーと呼ばれ、サラブレッドではなくスタンダードブレッドをはじめとしたトロッターが競走馬として使用される。発祥は古代の戦車競走に由来する。
競走の種別

繋駕速歩競走では、歩調によってトロット(Trot、斜対歩)とペース(Pace、側対歩)の2種類に分かれ[1]、トロットで競走する馬をトロッター、ペースで競走する馬をペーサーと呼ぶ。それぞれ走り方によって調教が分かれ、同一馬が両方の競走に出ることはない。トロッターは右前脚と左後ろ脚を同時に地に着け、次のタイミングで左前脚と右後ろ脚を地に着ける。一方ペーサーは右前・後肢と左前・後肢とが対になって動く。歩調によって出走する競走も区別されている。いずれの競走においても、駆歩(かけあし)など違法走法のチェックは厳しい。一部のヨーロッパの国ではトロットのみが実施されているが、イギリスカナダアメリカオーストラリアニュージーランドではトロッターとペーサーの両方が行われている。

スタンダードブレッドはサラブレッドよりも脚は短く、胴が長い。気性が穏やかなため競走ではより幅広い戦術をとりやすい。ドライバーは長く軽い鞭を持ち、繋駕車のシャフトで叩き音を立てることで馬に合図を送る。
各国の状況
日本戦前の繋駕速歩競走(中山競馬場)1933年(昭和8年)目黒競馬場のトロッター

日本では、大正時代に戦場で車両を引く軍馬育成のために奨励され、日本競馬会が開催した競馬において、数多くの競走が実施された。また、かつて兵庫県にあった鳴尾速歩競馬会では、短期間ながらも専門の競走を開催したこともあった。またこの当時は、繋駕速歩競走だけでなく、騎手が平地競走同様に騎乗する騎乗速歩競走も存在していた(日本競馬会では、函館競馬場札幌競馬場でのみ行われていた)。

戦前の繋駕速歩競走では、距離は4000メートル以上の競走がほとんどであり、出走頭数も20頭以上がざらであった。馬の資源については、トロッター種、とくにスタンダードブレッド種の別名アメリカントロッター(米トロ)種は、軍部から「軍馬の改良には適さない」とされたために排除方針となっており、トロッター種が出走できない競走が数多く設定されていた。そのため、速歩競走に出走する馬は、ハクニーやアングロノルマン(英語版)種と、内洋種と呼ばれるサラブレッド系の馬、あるいは血統不詳の雑種の馬を掛け合わせた馬が大半を占めていた。一方、わずかながらロシア産のオルロフトロッター種も輸入されており、こちらはアメリカントロッターと区別されて「露トロ」と呼ばれていた。またわずかな数のアメリカントロッターの繁殖馬もいて、優秀な競走馬を輩出していた。

しかし1940年には、軍部により速歩競走の中止が指示され、競走馬や繁殖用馬の多くは軍馬として徴用された。ただ一部は徴用されずに国内に残留し、戦後の生産に寄与することとなった。

太平洋戦争敗戦後、各地で地方競馬が再開され、速歩競走も実施されるようになった。一方かつての日本競馬会から運営を引き継いだ国営競馬では、速歩競走はしばらく開催されなかったが、1950年になって、競走馬資源が充分ではない状況から、競走数確保のために繋駕速歩競走を復活することとなった。しかし、比較的競走馬の頭数に恵まれていた関東地区では、関係者が競走復活に消極的であったため、より競走馬の頭数が少ない関西地区でのみ、競走が行われることとなった。ただし騎手は不足していたため、戦前に繋駕速歩競走の騎手であったが、戦後競馬界から離れていた者や、一時的に調教師に対して騎手免許を与えて、騎手を確保した。

戦後は、繋駕速歩競走に適したスタンダードブレッド種などの生産数は減少しており、また長年改良も行われていなかったため、競走馬間の能力差は大きかった。そこで、白井新平ら関係者により、将来的に繁殖入りして馬種改良に寄与することを前提として、アメリカからトロッター種の競走馬を輸入したほか、出走馬の能力差が少ない日本国外の速歩競走では一般的な、モービルスターティングゲートも使用されるようになった。このころ、首都圏に繋駕速歩競走専用競馬場の設置が検討されたが、これは日の目を見なかった。

一時期の関西地区の中央競馬を支えていた繋駕速歩競走であったが、軽種馬、とくにサラブレッドの生産頭数が増加し、1競走あたりの出走頭数や競走数が増加してきた一方で、速歩馬は高齢まで出走を続ける馬も多く、速歩馬の在厩馬も増加していった。さらに、速歩馬のほとんどが京都競馬場の厩舎に所属していたが、走法などの調教には時間を要するため、次第に増加してきた平地競走用の馬との調教時間の調整が難しくなってきた。一方競馬ファンからは、競走にスピード感に乏しいなどの理由もあり、主催者・ファンの双方から、次第に興味が失われていった。

日本中央競馬会では、まず1960年に、速歩馬の競走出走条件を200メートルを19秒で走行できることとして、それに満たない馬の出走を制限することで、速歩馬の在厩頭数の制限と競走内容の充実を図ったものの、大きな効果を挙げるには至らなかった。また平地競走の競走数の増加により、繋駕速歩競走で芝馬場を使用することによる馬場の傷みが無視できなくなってきた。このため1965年には、阪神競馬場京都競馬場での競走を中止し、ローカル開催の競馬場のダートコース[2]でのみ行うことに変更した。その結果、関東地区の新潟競馬場でも、中央競馬の繋駕速歩競走が行われるようになった[3]

ただし、繋駕速歩競走自体が縮小方針となっており、廃止に向けて関係者や生産者団体との調整も進めた結果、1968年12月、中京競馬場で行われた競走を最後に中央競馬での繋駕速歩競走は終了した。なお、最後に廃止記念競走が行われる予定だったが、中京競馬場でファンによる騒乱事件が発生して開催取り止めとなってしまい、行われることはなかった。

一方地方競馬では、戦後すぐに繋駕および騎乗速歩競走が復活し、馬産地の北海道や東北地方の地方競馬で重要な地位を占めたが、中央競馬での繋駕速歩競走の衰退および廃止によって馬資源の確保が難しくなったため、1971年6月に盛岡競馬場で行われた競走を最後に廃止された。それ以後、日本国内での馬券発売をともなう競走は行われていない。

一方で、畜産振興などのアマチュア草競馬としては、現在でも北海道根室振興局管内を中心とする道東で行われている。だが競技人口(繋駕速歩の騎手)そのものは多く見ても数十人規模と極めて少なく、「日本一競技人口の少ないスポーツ」という異名もある。

競馬法施行令第5条および17条の4により中央・地方競馬とも現在でも法令上は施行可能であるが、もしも復活をさせるとしても、現実として現在の日本国内のスタンダードブレッド種の生産状況では、内国産馬のみでの競走番組編成は現実的に不可能である。また、現在現役の騎手にはトロットレースの技術を持つ者もほぼ皆無であり、人材確保についても極めて困難がともなう。ただし、「愛馬の日」のイベントなどとして競馬場で模擬レースが行われた例はある(これについては、人馬は上述のアマチュア草競馬の面々が参加して行われた)。

中央競馬の場合、3回もしくは30メートル以上キャンターで馬を走らせた場合に失格になるという規則が定められていた。繋駕速歩競走の出走頭数は常に多く、競走中は相当数の審判員が出走馬の走法を監視し、走法違反が発生した時点で失格としていた。また、各馬の能力差の大きかった日本では、モービルスターティングゲートを使用した時期をのぞき、能力差に応じて距離ハンデを設けており、スタートの合図は、スタートラインで振り下ろされる赤旗によって行われた。

最多出走馬はビージーキング(271回)[4]
北アメリカ

北アメリカにおいては繋駕速歩競走の80パーセントから90パーセントはペーサーであり、ほとんどすべての競走の距離は1マイルである。また、ヨーロッパなどで見られる距離ハンデ競走は行われておらず、全競走でモービルスターティングゲートが使用される。


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