この項目では、神奈川県横浜市鶴見区にある曹洞宗大本山である「總持寺」について説明しています。
かつての曹洞宗大本山で、石川県輪島市門前町にある「總持寺」については「總持寺祖院」をご覧ください。
その他の「總持寺」については「總持寺 (曖昧さ回避)」をご覧ください。
總持寺
大祖堂(だいそどう)
所在地神奈川県横浜市鶴見区鶴見二丁目1番1号
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度30分25.16秒 東経139度40分17.25秒 / 北緯35.5069889度 東経139.6714583度 / 35.5069889; 139.6714583
總持寺(そうじじ)は、神奈川県横浜市鶴見区鶴見二丁目にある曹洞宗の仏教寺院。永平寺と並ぶ日本曹洞宗の中心寺院(大本山)である[1][2]。1911年に石川県鳳至郡門前町から現在地に移転。山号は諸嶽山(しょがくさん)[3]。本尊は釈迦如来。寺紋は五七桐紋。 能登国櫛比庄(現在の石川県輪島市)の真言律宗の教院「諸嶽観音堂」が、「總持寺」の前身である[4]。1321年(元亨元年)曹洞宗4世の瑩山紹瑾は、「諸嶽観音堂」への入院を住職の定賢
歴史
1911年(明治44年)、神奈川県横浜市鶴見区鶴見二丁目の現在地に移転。同年11月19日に開かれた国際オリムピック大会選手予選会では、10000m走のスタート地点となった[5]。石川県輪島市門前町の旧地は總持寺祖院と改称された。 敷地面積は約50万m2あり、横浜市鶴見区の広域避難場所の1つに指定されている。境内には仏殿、大祖堂をはじめ多くの堂宇があり、鶴見大学などの学校施設もある。本尊釈迦如来像を安置する仏殿よりも、道元、瑩山紹瑾など歴代の祖師を祀る大祖堂の方が規模が大きいのが特色である。 總持寺は、1911年(明治44年)に石川県から神奈川県に移転してきた寺院であるため堂宇の大部分は近代の建立であり、仏殿をはじめとする主要建物の多くは20世紀前半(大正時代?昭和時代前期)の本格的な木造建築である。 大祖堂、三門などは太平洋戦争後に建立された鉄筋コンクリート造である。他所から總持寺へ移築された建物の中には、近世末期のものも若干ある。1970年(昭和45年)3月6日には火災があり、常照殿が焼失する[6]。2005年(平成17年)に仏殿など16件の建造物が登録有形文化財に登録されている。 境内には横浜市で起こった鉄道事故である桜木町事故(1951年)と鶴見事故(1963年)の慰霊碑が建立されている。 太平洋戦争中、東京警備軍横浜警備隊が置かれ、1945年(昭和20年)8月終戦反対の反乱を起こした。
境内
伽藍三松閣参道と三門仏殿香積台(こうしゃくだい)向唐門(むかいからもん)