總持寺
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .hatnote{margin:0.5em 0;padding:3px 2em;background-color:transparent;border-bottom:1px solid #a2a9b1;font-size:90%}

この項目では、神奈川県横浜市鶴見区にある曹洞宗大本山である「總持寺」について説明しています。

かつての曹洞宗大本山で、石川県輪島市門前町にある「總持寺」については「總持寺祖院」をご覧ください。

その他の「總持寺」については「總持寺 (曖昧さ回避)」をご覧ください。

總持寺
大祖堂(だいそどう)
所在地神奈川県横浜市鶴見区鶴見二丁目1番1号
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度30分25.16秒 東経139度40分17.25秒 / 北緯35.5069889度 東経139.6714583度 / 35.5069889; 139.6714583座標: 北緯35度30分25.16秒 東経139度40分17.25秒 / 北緯35.5069889度 東経139.6714583度 / 35.5069889; 139.6714583
山号諸嶽山
宗旨曹洞宗
寺格大本山
本尊釈迦如来
創建年伝・奈良時代
開基伝・行基
中興年移転:明治44年(1911年
中興移転:石川素童
札所等東海三十三観音霊場
鶴見七福神
京浜四大本山
文化財絹本著色紹瑾和尚像、紙本著色提婆達多像、絹本著色前田利家夫人像、刺繍獅子吼文大法被、観音堂縁起(重要文化財)ほか
公式サイト曹洞宗大本山總持寺
法人番号3020005000313
.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}
テンプレートを表示

總持寺(そうじじ)は、神奈川県横浜市鶴見区鶴見二丁目にある曹洞宗仏教寺院永平寺と並ぶ日本曹洞宗の中心寺院(大本山)である[1][2]。1911年に石川県鳳至郡門前町から現在地に移転。山号は諸嶽山(しょがくさん)[3]本尊釈迦如来寺紋は五七桐紋。
歴史

能登国櫛比庄(現在の石川県輪島市)の真言律宗の教院「諸嶽観音堂」が、「總持寺」の前身である[4]。1321年(元亨元年)曹洞宗4世の瑩山紹瑾は、「諸嶽観音堂」への入院を住職の定賢から請われる。同年に定賢より「諸嶽観音堂」を寄進され、寺号を「總持寺」、山号は「諸嶽観音堂」にちなみ「諸嶽山」と改名し禅院とする[4]。1322年(元亨2年)後醍醐天皇より「曹洞賜紫出世第一の道場」の綸旨を受けて官寺、大本山となり、曹洞宗を公称する。住職を5つの塔頭(普蔵院、妙高庵、洞川庵、伝法庵、如意庵)からの輪番制となる。1615年(元和元年)徳川幕府より法度が出され、永平寺と並んで大本山となる。栴崖奕堂以降独住制となる。1898年(明治31年)火災で焼失する。

1911年(明治44年)、神奈川県横浜市鶴見区鶴見二丁目の現在地に移転。同年11月19日に開かれた国際オリムピック大会選手予選会では、10000m走のスタート地点となった[5]。石川県輪島市門前町の旧地は總持寺祖院と改称された。
境内

敷地面積は約50万m2あり、横浜市鶴見区の広域避難場所の1つに指定されている。境内には仏殿大祖堂をはじめ多くの堂宇があり、鶴見大学などの学校施設もある。本尊釈迦如来像を安置する仏殿よりも、道元、瑩山紹瑾など歴代の祖師を祀る大祖堂の方が規模が大きいのが特色である。

總持寺は、1911年(明治44年)に石川県から神奈川県に移転してきた寺院であるため堂宇の大部分は近代の建立であり、仏殿をはじめとする主要建物の多くは20世紀前半(大正時代?昭和時代前期)の本格的な木造建築である。

大祖堂、三門などは太平洋戦争後に建立された鉄筋コンクリート造である。他所から總持寺へ移築された建物の中には、近世末期のものも若干ある。1970年(昭和45年)3月6日には火災があり、常照殿が焼失する[6]2005年(平成17年)に仏殿など16件の建造物が登録有形文化財に登録されている。

境内には横浜市で起こった鉄道事故である桜木町事故1951年)と鶴見事故1963年)の慰霊碑が建立されている。

太平洋戦争中、東京警備軍横浜警備隊が置かれ、1945年(昭和20年)8月終戦反対の反乱を起こした。
伽藍三松閣参道と三門仏殿香積台(こうしゃくだい)向唐門(むかいからもん)


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:34 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef