縦書きと横書き
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この項目では、言語の表記形式について説明しています。言葉遊びの一種については「縦読み」をご覧ください。
日本語の雑誌広告
1938年昭和13年))。広告本文は右縦書きと右横書きが用いられ、商品ラベルには英語に倣い左横書きが用いられている。英語新聞1918年11月11日付)。左横書きされている。中国語扁額北京紫禁城、乾清宮の内部。玉座の上に、「正大光明」と右横書きされている。

世界に存在する文書は、その言語および表記する文字体系の組合わせによって文字を書き進める方向(書字方向)が異なる。書字方向には、大きく分けて縦書き(たてがき、縦組み)と横書き(よこがき、横組み)がある。
概説

書字方向は、文字の並べ方によって縦書き、横書きに二分され、それぞれが行または列の並べ方によりさらに二分される。

縦書きは、文字を列ごとに上から下に縦に連ねる。縦書きには、列を右から左へ(←)順に並べる右縦書きと、左から右へ(→)順に並べる左縦書きがある[1]

横書きは、文字を行ごとに一方向に横に並べる。横書きには、文字を右から左へ(←)順に並べて行を左に進める右横書きと、文字を左から右へ(→)順に並べて行を右に進める左横書きがある[2]

中国語および、日本語(下記詳述)、朝鮮語では、本来縦書きで右から左へ行を進めていた(右縦書き)。しかし、近代以降はいずれの国でも横書きとの併用が行われる。縦書きと横書きの両方が併用可能な文字言語は現代では比較的珍しく、文字を正方形のマスに見立てて配置する漢字(および漢字と併用される表音文字)の特徴といえる。なお、近年の韓国では横書きの使用が圧倒的になっており、稀に縦書きを用いる際も@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}左縦書きが使用される割合が多くなっている[要出典]。

英語に代表されるインド・ヨーロッパ語族等は、左から右の横書き(左横書き)である。縦書きされることは看板等のデザイン上の都合を除いてほとんど無い。日本や中華圏でも現代では英語等に倣うかたちで左横書きの文書が多くなっている。それぞれ独自の文字を持つ南アジア東南アジアの諸地域でも、左から右への横書き(左横書き)が多い。これに対して、アラビア語ヘブライ語等の中東圏では、その逆に右から左へと文字が綴られる(右横書き)。

モンゴル文字で表記されるモンゴル語は、左から右へと行を進める縦書き(左縦書き)を使用する。これは、モンゴル文字がソグド文字系統のウイグル文字から派生したことに由来する。これらの文字は、もともと右横書きされていたが、後にこれを反時計回りに90度回転した形の左縦書きも用いられるようになった。

古代には、ヒエログリフのように書字方向がかなり融通のきく文字言語や、左右の行端で文字を折り返す牛耕式 (boustrophedon) などを採用する文字言語もあったが、現代の諸言語の文書には見られない特徴である。また、下から上へ行を重ねる横書きが確認されない一方、下から上への縦書きは、アイルランド・ゲール語のオーガム碑文の例、そして突厥文字(オルホン文字)が稀にそのように書かれるなど、歴史的にもごく僅かに存在する。
日本語における縦書きと横書き1885年明治18年)頃に発行された紙幣。日本語には右縦書き(1行1文字の縦書き含む)が用いられ、英語には左横書きが用いられている。1938年10月頃の天王寺駅。左横書きが多いが一部に1行1文字の縦書きも残っている。インドネシアを占領した日本軍により発行された身分証明書。現地語との併記のため、左横書きが使われている。

元来日本語は漢文に倣い、文字を上から下へ、また行を右から左へと進めて表記を行うものである。漢字仮名は縦書きを前提とした筆順であり、横書き不能な書体も存在する。

扁額石碑の題字などは一見すると右横書きのように見えるが、前近代にあっては、これらは「1行1文字の縦書き」、つまり縦書きの規範で書かれたものであって右横書きではないのが通常である。スペースに高さがある場合は1行2文字以上として右から左へ行が進むこととなる[3]。したがってこれらはあくまでも縦書きの範疇にある。漢字も仮名も、横画はすべて左から右へ、縦画はすべて上から下へ書くものであり、下から上へ縦書きしないのと同様に、左横書きは可能でも右横書きには無理が生じる[4]
歴史的経緯

日本語学者屋名池誠の調査によれば、日本で出版物に横書きが現れるのは、(ごくまれな先行例はあるものの)18世紀後半に蘭学が紹介されてからのことである。1788年(天明8年)に大槻玄沢が刊行した『蘭学階梯』が初めて幕府の公認の下にオランダ語の文字(すなわちラテン文字)を紹介したのをきっかけに、民衆の間に横書き文字の存在が広く知られるようになった。一般民衆向けの出版物にも、オランダ語の文字を模倣して日本語の文章を横書きするものが現れた。たとえば1806年(文化3年)刊の式亭三馬による『小野嘘字尽』(おののばかむらうそじづくし)は往来物パロディだが、平仮名を左横書きし書体も欧字に似せた「おいらんだ文字」なるものを記している[5]。また、1862年(文久2年)の『亜米利迦州迦爾波尓亜港出帆之図』は、「1行1文字の縦書き」とは区別された「右横書き」の例として指摘されている[6]

次に横書きが用いられたのは、外国語辞書であった。最初の日本語の外国語辞書は、外国語が左横書き、日本語が縦書きで、本を回転しないと普通に読めない。1885年明治18年)の「袖珍挿図独和辞書」では語釈(日本語)を横書きしている。

太平洋戦争前、欧文併記文書以外の一般大衆を主対象とする新聞や広告などでは、「1行1文字の縦書き」を横読みさせる記法、又はこれと同様に読むことができる「右横書き」[7]が優勢であった。ただし、刊行物では、右横書きの文章は長くても数行程度ものであり、雑誌記事において、縦書きと併用して用いられる場合が多かった[8](個人の手控えでは、日露戦争に従軍した軍曹の「陣中日誌」などに、文章全体が右横書きで記されている例がみられる[9]。)。

1927年昭和2年)に鉄相に就任した小川平吉は、1929年(昭和4年)までに、左書きとなっていた駅名表記を右書きに改正させている[10]

1940年(昭和15年)頃からは左横書きによる方向統一の動きが各所で散見されるようになり、文部省の諮問機関、国語審議会では1942年(昭和17年)7月、左横書きを本則とする旨の答申を出すに至る[11]。しかしこれに対して反対論も強く、答申の同部分は閣議提案されなかった[12]。当時、陸軍はむしろ左横書き専用への移行を進めていた。しかし、国粋主義的な論調の高まりの中で、「米英崇拝」であるとして左横書き排除を唱える者も現れ、左横書きを用いる商店への投書運動も展開された[13]。このため、新聞社の中には左横書きの広告を拒否する社もあった[14][15]

戦後、GHQ/SCAPによるアメリカ教育使節団報告書中のローマ字採用勧告や漢字の廃止運動(国語国字問題 / 漢字廃止論)などの社会運動により、西欧の記法に倣う左横書きが革新的、「1行1文字の縦書き」及び「右横書き」は保守的、というイメージは決定的なものとなり、「1行1文字の縦書き」及び「右横書き」は衰退の一途をたどることとなった。前出の屋名池の調査によれば、新聞の見出しの横書きは『読売報知新聞』(現在の『読売新聞』)が1946年(昭和21年)1月1日号から左横書きに切り替わったのを初の例として、1948年(昭和23年)までに『日本経済新聞』を除く全紙の見出しが切り替わっている(日本経済新聞は1950年(昭和25年)9月に切り替え)。


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