縞模様
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ギリシャの国旗にはの縞模様が含まれている。

縞模様(しまもよう)は、2色以上の異なる色または同色の濃淡を用いて複数の平行もしくは交差する線で構成された文様の総称[1]。縞柄あるいは縞とも[註 1][2]。特に交差する色柄は格子と呼ばれており[1]、縞模様は平行の模様の縦縞や横縞と、交差する模様の格子縞に大別される。英語を借りて、ストライプ英語: stripe、縦縞・横縞)、チェック英語: check、格子)等とも呼ぶ。
概説

縞模様は単純ながら線の幅と配色によって無限の広がりがあり、変化に富むため新鮮な印象を与えることができる[1]

漢字の「縞」は本来は白絹・練絹を意味する[3]日本語には古くは縞についての呼称がなく、平行の縞模様をや条、、また縦横に交差するものを格子と呼んだが、16世紀以降、舶来品として縞地の織物が流行し、これを「島渡り」「島物」「奥島」等と呼んだところから、転じて複数の線から成る文様を「縞」と呼ぶようになった[1][4][5]。言語によっては、線が平行する模様と交差する模様をよりはっきりと区別する場合もある。

縞模様の布地は古来より世界各地で生産され、模様として認識しやすいことなどから、縞模様の衣服や飾り等が特定の意味合いを持たされた例も数多い。

縞模様には視覚的にモアレと呼ばれる現象を生じることが知られている。
縞模様の歴史

縞模様は、織機を用いて織物)を作る際に、先に染めた多色の糸を用いることで、比較的容易に織り出すことのできる模様であることから、古くから世界各地で生産されてきたと考えられている。
ヨーロッパ縞模様の服を着たアウシュヴィッツ強制収容所の子供たち(1945年

中世ヨーロッパにおいては、縞模様は悪魔の模様とされ、聖職者は縞模様を含む多色を用いた服装を禁じられる一方、道化や私生児、農奴、売春婦、犯罪者、異端者、異教徒、障害者等に、ミ・パルティや縞模様の衣服・服飾品の着用が強制される事例も多かった。その影響下に、20世紀に至るまで、囚人服にもしばしば縞模様が用いられた[6]

また紋章においては、しばしば特定の色の縞模様が特定の人物や家等を示すものとして用いられた。紋章の影響を受けた近現代の国旗にも、縞模様をデザインしたものが多くある。現実世界の紋章における縞模様には悪い意味はなかったが、中世ヨーロッパの文学や絵画などの創作世界においては、縞模様の衣服や紋章がその人物が悪人であることを示唆する道具として用いられた[6]

18世紀以降のスコットランドでは、特定の色のタータン(格子縞)が家を表わすものとして発展した。
アジア
インド

インドの特産品には綿花があり肌触りのほか鮮やかな色彩を施すことができるという特徴を持っている[7]。17世紀にはインドの綿織物がインド・キャリコとしてヨーロッパで大流行し、絹織物や毛織物の時代から綿織物の時代へと変わるいわゆる衣服革命をもたらした[7]。インドの綿製品はオランダによって日本にももたらされ、サントメ産(チェンナイ南部のマイラポール産)の桟留縞やベンガル産の弁柄縞として江戸町人の間に流行した[7]
日本さまざまな縞の和服を描く楊洲周延「東風俗福つくし 呉服」明治22年(1889年

正倉院伝来の染織品には縞のものも含まれるが、平安時代以降の公家衣服には縞はほとんど用いられず、主に庶民や下級武士が用いたと考えられている[4]。ただし、武士の着用するは、によって段模様が作られることから、このような横縞は武士の家柄や階級を表す模様とされた。

16世紀中頃から、日明貿易南蛮貿易により、中国南部やインド東南アジア産の縞柄の絹織物綿織物が渡来し、間道や甲比丹(かぴたん)、奥島、島木綿等と呼ばれて流行するようになった。やがて「島」に「縞」の字を充てるようになったと言われる。舶来の縞織物(名物裂)は、特に茶道具として珍重された[4][8]江戸時代初期には横縞が流行し、縦縞は遊女小袖に使用する程度であったが、中期には、木綿の流通とともに国内でも縦縞の織物が盛んに生産され、庶民の服装へも大いに取り入れられ[5]、「縞のお召し(縦縞模様のお召し縮緬着物)」が粋の象徴とされるまでになった。桟留縞(サントメ)、弁柄縞(ベンガル)等、外国の地名を冠した縞もあり、特に「唐桟留」を略した唐桟(とうざん)は町人の間で珍重された[4]。また歌舞伎の衣装を通じて、芝翫縞団十郎格子(三升格子)菊五郎格子等、さまざまな縞や格子の役者模様が流行した。織物工房や問屋、また自家用に縞の裂地を張りつけた縞帳も多く残されている。

日本において特別な意味合いを持つ縞模様に、斑(まだらまく)がある。斑幕には紅白幕、鯨幕、浅黄幕のほか、紺白幕、紫白幕、黒黄幕などがある。白と黒の鯨幕は大正以降弔事に用いる機会が増えたが、本来は慶弔問わず使用する縞模様で、紅白幕より歴史が古く、また格式が高いとされている。
縞模様の種類月岡芳年風俗三十二相』より「かいたそう」嘉永年間(1848年?1854年)の風俗として四筋縞の長着が描かれている。明治21年(1888年千鳥格子(ハウンドツース)ピンストライプチョークストライプのスーツレジメンタルと小紋のネクタイ

日本語の「縞」は縦縞・横縞・格子縞に大別される[2]。また斜め方向のものは、斜め縞と呼ばれる。更に、色の数や配色、線の間隔等によってさまざまな特定の名称を持つ縞模様がある。日本では江戸時代に縞模様が流行し、さまざまな名称の縞が生みだされた。

また、西洋語にもさまざまな名称の縞模様があり、明治時代以降の洋服の隆盛もあって、英語由来のものを中心に多く外来語として取り入れられている。なお、日本語では格子模様を縞に含めるが、外来語では縦縞・横縞はストライプ、格子柄はチェックタータン英語: tartan)、プラッド英語: plaid)として区別される。チェックとタータン(プラッド)は広義にはいずれも格子模様を指すが、厳密にはチェック(check、チェッカー checker、チェッカード checkerdとも)は同形の正方形を組み合わせた市松模様(石畳)を、タータン(プラッド)は多色の線がさまざまな間隔で交差する格子縞を指す。また、服の縁を縁取る横縞を特にボーダーというが、転じて横縞全般をボーダーともいう。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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