縁起
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この項目では、主に仏教用語の縁起について説明しています。その他の用法については「#転用」をご覧ください。

仏教用語
縁起
ドミノ倒し。仏教では「AによってBが生ずる」と因果性を説く[1]
パーリ語pa?icca-samupp?da
サンスクリット語prat?tyasamutp?da
(Dev: ????????????????)
チベット語??????????????????????????
(Wylie: rten cing 'brel bar
'byung ba
THL: ten-ching drelwar
jungwa)
ベンガル語???????????????
protityosomutpado
ビルマ語?????? ?????????
IPA: [b?dei?sa? θ?mou?pa?]
中国語?起
(?音: yuanq?)
日本語縁起
(ローマ字: engi)
英語dependent origination,
dependent arising,
interdependent co-arising,
conditioned arising,
etc.
シンハラ語??????????????
タイ語????????????
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縁起(えんぎ、: prat?tya-samutp?da, プラティーティヤ・サムトパーダ、: pa?icca-samupp?da, パティッチャ・サムッパーダ)とは、他との関係が縁となって生起するということ[2][3][1]。全ての現象は、原因や条件が相互に関係しあって成立しているものであって独立自存のものではなく、条件や原因がなくなれば結果も自ずからなくなるということを指す[2]

仏教の根本的教理・基本的教説の1つであり、釈迦悟りの内容を表明するものとされる[2][3]。因縁生、縁起法、縁生、因縁法[2]此縁性[3][注釈 1]ともいう。種々の縁起説は、〈煩悩(惑)→行為()→苦悩()〉を骨格とするが、無明を根本原因とする12の項目からなる縁起説(十二因縁)が次第に定着した[3]。後世には、縁起の観念を分けて、業感縁起や頼耶縁起などの諸説が立てられた[2]
初期仏教

初期仏教および部派仏教までの段階の縁起説は、迷いの世界(有為)のみを説明するものであり、悟りの世界(無為)は縁起の中に含まれなかった[3]。この段階までの縁起説においては、悟りは縁起を超越し縁起の滅した世界であるとされた[3]
釈迦の発見

 十二因縁 
無明(無知)





名色

六処









(存在)

(誕生)

老死(老いと死)
 

初期仏教時代の縁起説は、苦しみ悩む有情が主題であったため、老死という苦しみの原因を無明に求める十二支縁起(十二因縁)説が代表的なものであった[3]

全てのものは原因から現れ、その原因とその止滅を如来は説かれた。偉大なるサマナはこのように説かれた。 ?  律蔵大品,1.23.10

経典によれば、釈迦は縁起について、

(世間の)人々は、執着に歓喜し、執着を愛し、執着を好ましく思っている。 そのような執着に歓喜し、執着を愛し、執着を好ましく思っている人にとって、此縁性、縁起の法という理論は受け入れがたいものである。 ?  パーリ仏典, 経蔵中部 聖求経, Sri Lanka Tripitaka Project

と述べた。またこの縁起の法は、わが作るところにも非ず、また余人の作るところにも非ず。如来(釈迦)の世に出ずるも出てざるも法界常住なり。如来(釈迦)は、この法を自ら覚し、等正覚(とうしょうがく)を成じ、諸の衆生のために分別し演説し開発(かいほつ)顕示するのみなり

と述べ、縁起はこの世の自然の法則の因縁生起の原理で原因と条件の結果の3つの構造で成立していて、[4]自らはそれを識知しただけであるという。
法を見る

象跡喩大経は、縁起を知ることとを知ることを関連付けている[5][6]。.mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}

世尊釈迦)は、このように言われている。縁起を見る者は、その法を見る。法を見る者は、縁起を見る、と。
五取蘊(pancup?d?nakkhandh?)とは、この縁起したもの(Pa?iccasamuppann?)である。—パーリ仏典, 中部 28.象跡喩大経, Sri Lanka Tripitaka Project
部派仏教.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}

この節の加筆が望まれています。

部派仏教の時代になり、部派ごとにそれぞれのアビダルマ(論書)が書かれるようになるに伴い、釈迦が説いたとされる「十二支縁起」に対して、様々な解釈が考えられ、付与されていくようになった[要出典]。それらは概ね、衆生(有情、生物)の(カルマ)を因とする「惑縁(煩悩)・業因→苦果」すなわち惑業苦(わくごうく)の因果関係と絡めて説かれるので、総じて業感縁起(ごうかんえんぎ)と呼ばれる[要出典]。

部派仏教の時代には、客観世界や客観的現象まで説明しうる縁起説として説一切有部の〈六因・四縁・五果〉や、南方上座部の二十四縁も説かれた[3]
説一切有部

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出典がまったく示されていないか不十分です。内容に関する文献や情報源が必要です。(2017年5月)


独自研究が含まれているおそれがあります。(2017年5月)


説一切有部では、十二支縁起を過去世・現在世・未来世の三世に渡る業の因果関係とみる三世両重の業感縁起説が説かれた[3][7]

有力部派であった説一切有部においては、「十二支縁起」に対して、『識身足論』で 「同時的な系列」と見なす解釈と共に「時間的継起関係」と見なす解釈も表れ始め、『発智論』では十二支を「過去・現在・未来」に分割して割り振ることで輪廻のありようを示そうとするといった(後述する「三世両重(の)因果」の原型となる)解釈も示されるようになるなど、徐々に様々な解釈が醸成されていった。


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