緑屋
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この項目では、かつて存在した月賦百貨店について説明しています。同百貨店を経営した法人については「クレディセゾン」をご覧ください。
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株式会社緑屋[1][2]
Midoriya Co., Ltd.[3]緑屋渋谷店
(現:THE PRIME 渋谷プライム館)
<参考:2007年11月5日に撮影>
種類株式会社[1]
市場情報東証2部[4] 8253[5]
1963年(昭和38年)7月2日[4]上場廃止
本社所在地 日本
東京都世田谷区太子堂4-24-8[6][7][7][1]
設立1951年昭和26年)5月1日[1][2][8]
業種小売業[1]
事業内容月賦百貨店の運営など[1]
資本金22億円[1]
決算期1月31日[4]
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緑屋(みどりや)は、日本にかつて存在した月賦制の小売店で、1969年(昭和44年)1月期までの十数年間は業界最大手であった[9]。会社・法人格としては、1980年(昭和55年)8月1日に「志澤」を吸収合併して「西武クレジット」へ商号を変更し[10]1989年(平成元年)10月1日に株式会社クレディセゾンへと商号を変更して[11]存続している。
概要

1946年昭和21年)9月12日[12]岡本虎二郎が東京都世田谷区太子堂に和洋家具専門店の「岡本商店」として[2]店員3名で面積約9坪の店を開いたのが始まりである[13]。この創業時点では繊維製品が統制されていたことから家具を主力としたもので、当初は現金販売のみで営業していた[14]

1947年(昭和22年)11月に「有限会社 大丸」を設立して法人化し[2][15]1949年(昭和24年)に繊維品の統制が解除となったことから[14]、同年10月に第2次世界大戦後の東京では初めて月賦販売を開始した[13]1950年(昭和25年)から繊維品の取り扱いを本格化し[14]、同年10月に「有限会社 緑屋」へ商号を変更して[2][15]月賦販売を本格化した[13]

1951年(昭和26年)4月に当社初の支店として横須賀市追浜本町に横須賀店を開店した[2]。同年5月1日に資本金99万円で「株式会社緑屋」を設立した[2]

1957年(昭和32年)に三軒茶屋に鉄筋コンクリート造地下1階・地上5階建てでエレベーターや冷暖房完備した店舗を開設し、大型店としての月賦百貨店の第1号となった[16]

1958年(昭和33年)に仕入れ部門を「緑屋商事」として分離独立させたほか、共同購入代金の借入・貸付を行う「緑屋信用販売協同組合」や照明・電気工事の「緑屋電業社」を設立した[17]

1960年(昭和35年)には「クレジットの丸井」に対して「ホームビル[注 1]の緑屋」というキャッチフレーズを掲げてチェーン展開をし[19]、業界に先駆けて店舗展開を進めた[20]

1963年(昭和38年)1月にコンピューターを導入して商品管理を中心とした電子化を開始し[21]、同年2月1日に「吉祥寺緑屋」・「溝口緑屋」・「横浜緑屋」・「宇都宮緑屋」・「平塚緑屋」・「常盤台緑屋」・「千住緑屋」を吸収合併し[22]、同年7月2日東京証券取引所第2部に上場した[4]1967年(昭和42年)2月に「千葉緑屋」・「調布緑屋」を吸収合併し、1968年(昭和43年)6月に第1部に昇格した[23]

1969年(昭和44年)8月1日に「丸紅」と商品開発や設備リース・店舗開発費の貸し付けなどの提供を受ける業務提携を締結した[24]

丸井丸興ライフアップ大丸(大丸百貨店[注 2])と共に四大月賦百貨店の一つに数えられ、東証2部に上場した当時は売上高約127億円を上げて2位に約50億円の差をつける圧倒的な首位となっていた[25]

最終的に500店舗の展開を目指して上場前後から出店を加速し[17]1965年(昭和40年)の31店舗から1970年(昭和45年)1月末時点には45店舗まで店舗を増やした[26][27]

しかし、早くから出店を進めたことが裏目に出てその後の繁華街の移動や店舗の大型化の影響を受け[20]、「小売業は立地産業だ」との青井忠治の考えから駅前立地で出店して「駅のソバ」をキャチコピーとして業績を伸ばしたライバルの丸井との出店戦略の違いが業績を伸び悩ませることに繋がった[28]

同じ1965年(昭和40年)から1970年(昭和45年)1月の間に24店舗から30店舗まで6店舗の増加に留めたものの[26][27]、スクラップアンドビルドで店舗の大型化などを進めて[26]売り場面積を約2.3倍に拡大した丸井との戦略の差が出て[27][29]、その間に売り場面積を約1.3倍にしか伸ばせなかった当社は会社全体の売り場面積で逆転されることになった[27][29]

商品政策面でも、ファッション関連中心の品揃えとして購買力の高い若者層を取り込んだのに対して、当社は従来通りの月賦百貨店の営業形態を続けたことも、業績格差に繋がってしまった[28]

その他、月賦は低所得者層が利用するというイメージの悪さを打ち消すために1964年(昭和39年)から「クレジット」というキャッチフレーズへの置き換えを進めた丸井との広報戦略の違いも業績の伸び悩みに繋がっていった[29]

その結果、1970年(昭和45年)1月期に丸井に月賦百貨店首位を奪われて業界2位へ転落することになった[30]

また、ボウリング場・中華料理店・喫茶店・住宅産業などへの多角化を図ったものの、その投資負担や業績の伸び悩みが当社全体の伸び悩みに繋がり、月賦販売の本業に徹した丸井との差が広がる要因となってしまった[31]

その為、借入金が約300億円に達し、売上や利益で上回る丸井の約200億円を大きく上回るところまで、財務が悪化することになった[32]

その為、1971年(昭和46年)11月に丸紅が発行済み株式数4400万株のうち600万株を取得して筆頭株主となり、仕入れや新店舗の建設・集金・配送システムなどに共同で取り組む、資本・業務提携を行った[33]。それに伴って、丸紅から尾松千秋が代表取締役として送り込まれ、創業社長岡本虎二郎の長男の岡本典雄は常務取締役を退任して当社から離れることになった[32]

1972年(昭和47年)10月に「ミドリヤクレジットカード」として[34]独自のクレジットカードの発行を開始した[35]

しかし、丸紅に小売業のノウハウがなかったこともあって[36]、その後も商品企画力や営業力の面で丸井に大きな差がついたままとなった業績は回復しなかった[37]

また、業績の伸び悩みで株価が低迷したことから、当社は1970年(昭和45年)8月の増資以降は株式市場で資金調達が出来なかったのに対し、ライバルの丸井は同じ1970年(昭和45年)の他に1972年(昭和47年)と2回の時価発行増資を行って資金調達を行っており、財務面でも差を付けられることになった[27]

その他にも、クレジットの回収率でも当社は1974年(昭和49年)1月期で前年度より約0.5%改善しても約98.5%に留まり、丸井より1%以上未回収率が高い状態が続くなど、顧客の信用管理面でも同社に対して劣っていた[26]

こうして再建が進まなかったことから丸紅は仲介者を介し西武流通グループに提携を打診した[38]。これを受けて、1975年(昭和50年)1月に西武グループ(後のセゾングループ)が100万株を取得し、1976年(昭和51年)3月に300万株を岡本一族と丸紅から追加で取得した[36]。同年4月に坂倉芳明西武百貨店社長が当社社長を兼務して再建に取り組み始め[39]、山形店や高崎店などの大型店から家具などの大型商品を無くしてファッション専門店への切り替えを進めた[37]。また、当時約70%を占めていた割賦販売依存から脱却を目指し、現金での販売を強化することで経営再建を目指した[37]

1976年(昭和51年)9月に「ミドリヤクレジットグリーンカード」の発行を開始し[34]、横須賀店で地元商店街とのクレジットカードの共同利用を開始した[40]

1977年(昭和52年)1月に西友と共同で大森の工場跡地と凍結していた旭川市での出店を再開することや[41]、不採算店6店舗の閉鎖・約400名の西武グループへの出向・閉鎖店舗跡地など遊休資産の売却などを行う再建計画を発表した[42]

しかし、当初は出向計画と遊休資産の売却が遅れたことから、1978年(昭和53年)1月期に約16億円の経常赤字に転落した[42]

1978年(昭和53年)4月1日に資本金9000万円で「緑屋計算センター」を設立してコンピューター管理部門を独立させ[43]。同年5月にキャッシングサービスを開始して、消費者金融事業に参入した[44]、同年5月にキャッシングサービス業務を開始した[45]


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