緑の党_(ニュージーランド)
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ニュージーランド政党ニュージーランド緑の党
Green Party of Aotearoa New Zealand
R?p? K?k?riki o Aotearoa
ニュージーランド緑の党のロゴマーク
共同代表ジェームズ・ショー (James Shaw)
マラマ・デイヴィッドソン (Marama Davidson)
成立年月日1990年5月26日(34年前)
前身政党価値党 (Values Party)
本部所在地ウェリントン
代議院14 / 122   (11%)(2023年10月14日)
政治的思想・立場緑の政治
社会民主主義
革新主義
公式カラー.mw-parser-output .legend{page-break-inside:avoid;break-inside:avoid-column}.mw-parser-output .legend-color{display:inline-block;min-width:1.5em;height:1.5em;margin:1px 0;text-align:center;border:1px solid black;background-color:transparent;color:black}.mw-parser-output .legend-text{}  緑
国際組織グローバルグリーンズ[1]
公式サイト ⇒Green Party of Aotearoa New Zealand
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ニュージーランド緑の党(ニュージーランドみどりのとう、英語: Green Party of Aotearoa New Zealand、マオリ語: R?p? K?k?riki o Aotearoa)は、ニュージーランド環境政党である[2][3]グローバルグリーンズに加盟している[1]

同党は代議院で4番目に大きい党であり[4]労働党アーダーン政権に閣外協力している[5] 。2017年の総選挙では6.3%の得票率を得て8議席を得た。
方針と政策クライストチャーチでデモを行う緑の党の支持者

緑の党は、自然環境への脅威と環境問題に対抗するために結成された。近年、同党は、国立公園での露天掘り[6]、清潔な水[7]気候変動[8]石油ピーク[9]遺伝子操作への懸念を示している[10]。また、同党は人権への支援を表明し、アメリカ合衆国などによるアフガニスタンイラクへの軍事行動に反対している[11][12]

緑の党は、イギリスマオリとの間に結ばれたワイタンギ条約をニュージーランドの建国文書だと認識している[13]

経済政策としては、持続可能性や、汚染の間接費への課税、フェアトレードを強調している。また、経済的成長の測定には、経済指標の数値ではなく生活の質を参考にする必要があると述べている[14]。そして、ベーシックインカムの最終的な導入を目指している[15]

緑の党は大麻解禁を推進しており[16]、2017年の総選挙の際、登録された医療機関の支援を得て、治療目的で大麻や大麻製品を栽培、所持、または使用する末期疾患、慢性または衰弱状態の人に対する罰則を削除すると述べ、もしも政権を獲得することが出来れば大麻を解禁するとした[17][18]
歴史
設立

緑の党の起源は、1972年にヴィクトリア大学ウェリントン校で結成された世界で最初の国家レベルの環境主義者団体である価値党にまでさかのぼる[19][20]。価値党はいくつかの選挙で民衆の支持を得たが、当時の単純小選挙区制度下で、価値党が勝利を収めたことはついぞなかった。

1990年5月、ロッド・ドナルドやジェネット・フィッツシモンズ (Jeanette Fitzsimons) などをはじめとする価値党の残党は、ほかの環境主義団体と合併して近代的な環境主義政党である緑の党を結成した[21]。緑の党は結成当初から民衆の支持を受け、同年の総選挙では議席は得られなかったものの6.85%の得票率を得た。
「同盟」時代初代共同代表であるロッド・ドナルドとジェネット・フィッツシモンズ。

1991年、緑の党は民主党 (Democrats) 、自由党 (Liberals) 、マナ・モツハケ党 (Mana Motuhake) 、新労働党 (New Labour Party) などの小党からなる政党グループである「同盟」 (The Alliance) の共同創設メンバーになった[19]。その後1993年と1996年に行われた総選挙には、緑の党は「同盟」としてこれに臨んだ。

1995年にタウポで開かれた年次党大会まで、緑の党には党内の選挙で選ばれた代表はいなかった。党大会においては、フィッツシモンズが無投票で女性共同代表に選出され、ロッド・ドナルドが他2人の候補者との代表選挙に打ち勝ち男性共同代表に選出された[22]

1996年にニュージーランドの選挙システムが以前の単純小選挙区制から小選挙区比例代表併用制に変更された。これにより、同年行われた総選挙で「同盟」は初めて議席を獲得し、緑の党からは、共同代表の2人とフィリダ・バンクル (Phillida Bunkle) の合計3人が当選した[23]

1997年、緑の党は「同盟」との政策のすり合わせに齟齬が生じたために「同盟」からの離脱を表明した[19]。多くの緑の党のメンバーは「同盟」を抜けたが、フィリダ・バンクルを含むいくつかのメンバーは緑の党を離党して「同盟」に残ることを選んだ。また、それとは対照的に、新労働党から「同盟」を通じて当選した議員で、新労働党からも「同盟」からも離脱して緑の党に入党した、スー・ブラッドフォード (Sue Bradford) やキース・ロック (Keith Locke) のような者もいた[24]
第三党として
1999年総選挙

1999年の総選挙において、緑の党は5.16%の得票率と7つの議席を得た。しかし、選挙結果は特別得票数を集計したのちに初めて明らかになったため、緑の党は開票後10日間、議席数が不明な状態であった。その間に、労働党は「同盟」との連立に合意していた。そこで、緑の党は予算案や法律案の協議への参加を引き換えにして閣外協力することを決めた。これにより、緑の党は政府予算案において1500万ドルのエネルギー効率化・環境予算を引き出した[25]
2002年総選挙


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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